くまの窓 ~柔道家・柔道整復師・大学教員のいなじのブログ

柔道家で、柔道整復師で、大学教員のいなじのブログです。

| PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --:-- | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

仕事で20キロ歩く

わたしが所属する学生課の仕事に、年に一度行われる
学園ウォーキング大会の企画・立案がある。

今年は東松山市、坂戸市、川島町を歩く約20キロのコース。
本番は10月なのだが、その前に、トイレの場所や休憩ポイント、
危険ポイント等をチェックする「試歩」を行った。

試歩メンバーは、学生課の若手男子3人、Tさん、Uさん、Sさん(いずれも20代)と、
なぜか参戦することになったワタクシ(アラフォー)である。

朝、職場に集合。
学生部の大先輩、T課長とAさん(いずれも女性)、M参事(親分)がお見送りをしてくれた。



それじゃ行ってきま~す

おう、雨具は持ったのか?

折り畳み傘は持ってます

ちょっと待ってろ、カッパ持ってきてやるから



親分は心当たりがあるのか、どこかへ消えていった。




…。




……。




(出かけられないすね)



親分が帰ってきた。



カッパなかったわ!大雨で立ち往生したら…自力で帰ってこい!わははは!



…。



親分の手荒な歓送の辞を受け、出発。

すると背後から声が。


ちょっと待って!バンドエイド持った?

バンドエイド持ったら消毒液も持って行かないと!

転んですり剥いたら大変だからね

靴ずれも大敵だからね

そうそう、最近…


ヤマビルが里まで下りてきてる からね



やられると 血が止まらない からね


こわいわよ~、ヤマビル。

見えないところに潜んでるのよね~

いつの間にか靴の中に入ってたりね

いやよね~

ヤマビルを甘く見ちゃだめよ!

若い人たちはヒルなんて知らないでしょ。こわいのよ!
あ、イナガワさんいるから平気か



…。



わたしはたしかにだんしたちより余分に生きているが、
ヤマビルに遭遇したことはあっても本気で戦ったことはない。



おかんたちにバンドエイドとマキロンとヤマビル情報を仕込まれ、ようやく出発。


タイムキーパーのSさんがつぶやく。



今ので10分ロスしました




出発してすぐは、山中の道を歩く。

出発!



いきなり倒木

倒木


これやっつけなきゃなんないっすね

ここ大学の敷地ですかね だとすると管理課ですね

確実に学生課ではないですよね

うむ、学生課ではない


倒木は迂回して回避し、ついでに責任も回避し、岩殿観音へ。
ここは、山門から延びる一本道が美しい。

岩殿観音階段




だいぶ年の離れたおばさんは、だんしたちの会話を聞きながら歩く。


坂戸に「餃子の満州」の工場があるんですよね

満州の餃子うまいよね~!

駅前の満州、ウチの学生が何人もバイトしてると思いますよ

学生のとき、満州でバイトしてるやつが安くしてやるから来いよって言うんで
行ってスゲー飲んで食ったら、何の割引もなく会計されたことあったよ

学生のバイト雇うって、店側もある程度そういうの計算に入れてますよね

そうですよね あるファミレスでは客数に比べて肉の発注がやたらに多くて、
調べたらバイトの学生が食ってたらしいですよ よくあるハナシですよね

おまえやってたんだろ

僕じゃないですよ!僕もファミレスでバイトしてましたけど、
楽しみといえばかわいい子の残したメシを食うことですかね

あー、わかるわかる

小学校のとき、好きな子のリコーダー舐めるのと一緒ですね

基本それと一緒だな


ちょっと待たんかい


だんしのしょーもない生態を小耳にはさみつつ、どんどん歩く。



あー、風が気持ちいいなー

気持ちいいっすね 本番も晴れるといいですね

ところで来年は90周年だから、50キロ歩くんですよね
両方のキャンパスで企画しないと無理ですよね

いいね!ドリームチームでやりたいね!


このダンシたち、(若干のヘンタイであるが)いつも何事にも一生懸命なんである。
ウォーキング大会なんかだりーとかかったりーとか
中止にしちゃえばいいのにとか言わないで、仕事を楽しんでいるのである。

異動になってから感じていることだが、ウチの法人の若手は、素朴で、
面倒なことでも率先して取り組んで、気持ち良く仕事をしている人が多い。
彼らが年齢を重ねても、ずっとこういう姿勢で仕事をしてくれれば、
わが法人は伸びていくと思う。

かかしとだんし



途中のスーパーマーケットでおひるを調達。
思い思いの弁当を購入して、さらに歩く。

Uさんがスーパーで買った「ガリガリ君・梨味」を差し入れしてくれた。
溶けかけていたので棒ですくっていただく。汗をかいた身体に、ガリガリ君がしみる。
すかさずSさんが「塩分補給タブレット」を配給してくれた。

気配り細やかな男衆である。


話題は差し入れから、めしをおごること、そして後輩との人間関係へ。
男子三人の年齢は真ん中、Uさんが後輩との付き合い方の難しさを語り出す。


後輩をガストに連れてってご馳走してやったってやつがいたんですけど、
後からその後輩に「もっといいところ連れてけよ」みたいな陰口叩かれたらしくて。
トラウマになっちゃいますよね、そんなこと聞いちゃうと。

学生時代、合宿に行ったとき、後輩にちょっといいカッコしたくて、
コンビニで、よし、ここはおごってやるから好きなもの買え!って言ったんですよ。

そしたら会計が1万7千円ですよ?!コンビニで1万7千円てどういうことだよって。
10人くらいしかいなかったんで、一人1700円ってことですよね。
これもいいっすかって「ジャンプ」かごに入れてるやつとかいて。
女子なんかプリンいくつ食うんだよって数買ってんですよ!
新幹線で帰れないかもってとこまでおかね使っちゃったんですよ。あぶなかったです。

いや、難しいです。先輩が後輩を大切にするってどういうことなんですかね…



他のだんし二人もうんうんと頷いている。
後輩には尊敬されなければならない、でも当今、先輩風吹かせるのは万全の注意が必要。
難しいよね。

二十代前半から半ばにかけて、わたしもそんなことで悩んでいたなぁ、と思う。
よく背伸びして、まさに身銭を切って、後輩にご馳走したりしたっけ。

食わせてやり、飲ませてやれば人はついてくる。
そんな人心掌握術も、操り方は難しいよなぁ。


初秋の空


男衆とおばさんはひたすら歩く。

歩きながら、だんし三人衆の中でいちばんおにいちゃんのTさんが、
小学校の時のやさしかった先生との心温まる思い出を話してくれた。


それを聞いた三人衆の末っ子、Sさんが口を開く。

僕も心温まるハナシ、していいっすか
僕に起こった「鶴の恩返し」なんですけど…


彼のはなしを極限に簡略化すると、S少年とその友だちが小学校に登校するとき、
なぜか鶴が彼らを見守るかのように、学校までずっとついてきた。




…。




……。




…終わり?




終わりです。



別に鶴助けたわけじゃねーんだよな

ハイ

単にたまたま同じ方向にずっと飛んできたってことじゃねーのかよ

いやあれは俺らを見守ってました

それに…



その鳥、鶴じゃねーだろ



いやあれは間違いなく鶴でした

おまえ実家どこだっけ

千葉です

ぜってー違う



先輩だんしふたりにメチャクチャに突っ込まれても、Sさんはメゲナイ。
しばらくして、明るい声を上げた。


ここが今回のコースのクライマックス、島田橋です!

島田橋1


木の素朴な風情がなかなかいい。
生活道路らしく、橋の上を軽トラが走り抜けていった。

島田橋2


時代劇の撮影にしばしば使われるらしい。

島田橋3


遠景。夏草に埋もれる感じが何とも言えずイイ。

島田橋4


島田橋を過ぎ、川沿いを歩く。
相変わらず、上司や職場の文句を言うこともなく、さわやかな男衆である。

突然、Sさんがうれしそうな声をあげた。


ほらイナガワさん、鶴ですよ鶴!あそこ!

鶴じゃねーよ


上の写真の中央あたりを拡大した画像。

シラサギ



…。




サギだろ




いや、だから…



さっきのハナシは詐欺だって言いたいのか


上のおにいちゃんに睨まれ、末っ子万事休す。


この後もあやしい四人組はきゃっきゃ言いながら歩き続け、
ヤマビルに襲われることもなく無事に完歩。

久しぶりに3万歩以上歩いた。
両足にマメができ、疲れたけど楽しい珍道中だった。


ちなみにオバチャンは到着後、大学の敷地内でよそ見をして歩いていたところ
段差で足を踏み外し派手に転倒。
ひどい捻挫をして画龍点睛の欠きっぷりの良さを見せつけた。

捻挫


10月の本番、好天に恵まれますように。
スポンサーサイト

| 仕事・ライフワーク | 23:54 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

全国中学校バスケットボール大会

8月21~24日、埼玉県下で全国中学校バスケットボール大会が開催された。
最終日以外は県内3ヵ所に分散しての開催で、
22~23日の2日間、さいたま市会場の救護係として参加してきた。

普段は柔道の審判員や救護係として活動しているわたくし、
バスケの試合のオフィシャルは初めてである。

というわけで本稿は、バスケのど素人の視点による、初めてのバスケ大会記である。

さいたま市会場はさいたま市記念総合体育館。
開場前からわらわらと中学生。

さいたま市総合記念体育館


選手たちも、補助の子どもたちも、まだ中学生。とにかくかわいらしい。
で、時々びっくりするほど背の高い子がいる。さすがバスケ部。でも幼い。


そして何といっても…



でぶがいない



普段柔道会場に入り浸っているワタクシ、
バスケの子らのオール標準体型もしくはやせ型、が新鮮。
ふとっちょがいないと、仲間がいないようで、何だかそわそわしてしまう。


どの子も挨拶が気持ちいい。
礼は武道の専売特許かといったら大間違い。柔道も負けてられません!

さて、医療スタッフが割り振られたのは、会場を窓越し真ん前に望める部屋。
ご覧の素晴らしいロケーション。

救護室


男子の前年度優勝チーム、地元埼玉の大石中。
救護室からはこんな迫力で見えた!

男子!



会場では、さいたま市の中学校体育教諭の先生たちが運営にあたっていた。
各学校でバスケ部の顧問をしている先生がほとんど。
運営に大わらわな先生たちも、やはり試合が気になるようで、
入れ替わり立ち替わり観戦に最適な救護室に来ては、試合を観戦していた。

また、今回一緒に参加した鍼灸師のはるちゃん先生は、バスケの元国体選手。
はるちゃんと先生たちの話を傍らで聴き、観戦しながら、シロウト、にわか知識を得る。


デカい選手は「1枚、2枚」と数える


用例) 「あのチームは、3枚いるから強いね」
考察) 柔道の団体戦で、超級が何人いるか数えるようなものか。

写真は決勝トーナメント、わが故郷・静岡の強豪である常葉学園と、
開催地・埼玉県の宗岡中学との対戦。

宗岡中は「3枚いる」チームである。
前半は宗岡中学が押していたが、後半になり常葉が盛り返し、
接戦は常葉学園が僅差で勝利。来年の全中バスケは静岡開催、頑張れ!

常葉対宗岡


次。

わざとファウル(反則)をとる戦略があるらしい


ウィキペディアによると、こんな感じ。

ファウル(Fouls)は、バスケットボールにおける反則のうち、
どちらかに責任のある不当な体の触れあい、
およびスポーツマンらしくない行為の総称。

※傍線筆者




…。




ダメじゃん



柔道競技の審判員であるワタクシからすると、
わざと反則なんてありえない!卑怯者には「指導」を!反則ダメ。絶対。
などと言いたくもなり、そして言ってみたら、はる先生に「うるさい」と一蹴され。


次。


球技全般がからっきし苦手なワタクシ。

しかし、中学、高校と体育でバスケをやったとき、わたしは、
この状況に活路を見出すことだけは得意だった。

ボールの取り合い


これを、ヘルドボールという


そして、この紛争の平和的解決の方法が…


今はジャンプボールではない∑(゜д゜)


何でも今は、オルタネイティングポゼションルールとかいう
覚えきれない名前の仕組みになっているようである。



次。

床を拭くスタッフをモッパーという


ゲーム中、転倒があると、ただちにモップを持ったスタッフが床を拭く。
その出動、遂行、撤退、の素早さたるや、特殊部隊である。

モッパー出動


ピリオドの合間には、デモンストレーションじゃないかと思うような
見事なフォーメーションでモップがけ。

ハーフタイム


そして、コートを出るときに必ず一礼。
柔道場の入退場の礼もきちんとできない柔道部員がいる中で、
モッパー中学生にお株を奪われた感じである。

モッパー一礼


今回の初参加で、このど素人が何に感動したってモッパーである。
聞くと、彼ら、彼女らは地元中学のバスケ部員。
素晴らしいチームは、決勝のモッパーに指名されるという栄誉に浴すとのことである。
われわれで例えるならば、決勝の指名審判員というところか。

モッパー、控えで何を思う。
来年はこの舞台に、選手として立てるといいな!頑張れ!

モッパースタンバイ


そして。

たった一度転倒しただけで、床を拭かなければならないほどの汗をかく
バスケットボールという競技。

今回、びっくりしたのが、


バスケの審判、運動量パネェ


ということである。

はる先生によると、反則は選手の「前」、あるいは選手と選手の「間」で起こるから、
背中を見ていたのでは反則はわからない。
つまり、審判は選手より速く走って選手を「横から」見なければならない。

2名の審判で最初から最後までボールを追うのだから、緩急は選手よりずっと少ない。
実際、救護室でわたしが診たのは、選手より審判員の方が多かったくらいである。

柔道の審判は、ゆっくりと動くことがよしとされる。
したがって、引退して相当太ってしまっても審判はできる。

しかし、バスケの審判は、「現役」でなければ絶対に無理だと感じた。
体力、そして何より審判に求められる集中力のことを考えれば、
1日1試合、頑張っても2試合だろうなと思った。


審判についてもうひとつ。


審判することを「笛を吹く」という


話を聞いていると「あの審判は○○大会で笛を吹いたことがある」とか、
「決勝で笛吹くの誰なんだろう?」とか。

わたくし、そんなわけで出番を終えた審判員の先生のケアをしながら、
「今日は何試合吹いたんですか?」などと言ってバスケ界の人間ぶってみた。

また、「笛を吹く」あるいは単純に「笛」、「吹く」は、
試合中に審判がファウルをとる行為そのものも指しているようだった。

「え?今の吹かないの?完全にトラ(トラベリングか?)でしょ!」
「今の笛、ダブドリ(ダブルドリブルか??)ってこと?あれで吹かれちゃかわいそうだよな~」

と、試合観戦の体育の先生たちが口々に講評。
どの競技でも、審判は、見る人にやいのやいの言われちゃうんだなぁ。


さて本題。

救護活動はどうだったかというと、やはり全国クラスになると
自前でトレーナーを帯同しているチームが多く、仕事自体はそんなに多くなかった。

選手への需要がそれほど多くないとわかったので、審判員の控室に
コンディショニングサービスを行っているのでご利用ください、と声をおかけした。
すると、先にも書いたが審判員のみなさんの需要がたいへん多く、盛況だった。

で、お客がいないとき何をしていたかというと…


折り紙でくす玉づくり

救護室くす玉


なんでもこの大会に向けて、さいたま市内の中学生が、
全国から集まる仲間たちの健闘を祈って、各チームに千羽鶴を折ったそうである。
しかし大会当日になって鶴が足りないことが発覚、
体育の先生たちが運営の合間に必死に折り続けたとのこと。

で、鶴はひと段落したのだが、折り紙がなにしろ大量に余っている。
救護室の客もまばら。

というわけで、客がいないときは、体育の先生たちとわれわれ救護スタッフとで、
無心にくす玉を作っていた。たくさんできた。

折り紙を指導してくれたのは、女性でありながら男子バスケ部を率い、
関東大会まで連れて行ったというヤマザキ先生。
ちなみにヤマザキ先生は、現役時代、試合開始のジャンプボールの着地で足関節を捻挫し、
プレイ時間ゼロ秒で交代という記録の保持者である。

プログラムとくす玉


試合の合間に、会場を歩く。
インターハイを思い出す。

中学でも高校でも、全国大会では、会場の外にたくさんの売店が出る。
大会の名前が入ったTシャツやタオルがうれしくて、
貴重なわずかな小遣いで、選びに選んで買ったのを思い出す。

で、当たり前であるが、衣類はトールサイズが充実している。
ちなみに柔道会場では、でぶサイズがありえないほど充実。

売店


そして大塚製薬によるポカリスエットの無料ブース。

わたしが高校1年生で初めてインターハイ会場に行ったとき。
何に感動したってポカリがタダで飲めたことだった。
全国大会に来ているんだな!と思った。

ポカリスエット


さて、そんなこんなの2日間。
たまにはこうして柔道以外の競技に触れて勉強するのも大切だなと思った。

今回、このような機会を与えていただいたJATAC埼玉の金井先生に感謝である。
ありがとうございました。


帰りのクルマから見た、夏の終わりの空。

夕焼け


今日、この全国大会で引退という3年生も多かったと思う。
たった2日間だったけど、負けたチームの選手の泣き腫らした顔を、何度も見た。
君たちは、どんな気持ちでこの空を見た?

とりあえずは大きな節目の大会が終わったんだよね。お疲れさん。
高校でも、バスケ続けろよな!

あきらめたら、そこで試合終了なんだぜ!

| 仕事・ライフワーク | 15:31 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

柔道整復師の差別化について ~研修のススメ

この文章は、依頼を受け、ある柔道整復師の情報サイトに寄稿したものです。
(後日雑誌にも載るらしいです)

16日にアップされると聞いていたので、アップされたものを確認しようとしたら、
有料サイトらしく、著者でさえ読めない(爆)ので、ここに転載します。 

-------------------

 私は、柔整学校での教員歴8年のハナタレです。このような若輩者が柔整の教育について語るなど目も当てられない烏滸の沙汰ですが、先輩諸氏のご批判を仰ぐいい機会だと思い、執筆させていただくことにしました。
 

 私は教員となった当初より専門学校に奉職してきました。今年度は大学でも教壇に立つ機会を得、専門学校と大学の双方で学生と学ぶ中で、折にふれ両者の違いについて考えてきました。たった一年、一校で何がわかるという批判を甘受しつつ、考えたことを述べてみたいと思います。

 現在、柔整教育界では、大学と専門学校の「二極化」、さらには「差別化」が進んでいるといわれています。(という前提での原稿のご依頼でした。)しかし、たった一年ですが大学の教壇に立ってみて、少なくとも私は、大学と専門学校の学生の質については、どちらが上とも下とも感じることはありませんでした。

 「差別化」とは、つまり高等教育機関である大学で教育を受けた者が「上を行く」ということなのだと思いますが、現段階ではそのような状況にはないように思います。大学だからといって数多の傑出した学生がいるわけではなく、専門学校だからといって学生の学問的資質が低いというわけでもありません。一般教養科目があり、柔整だけでなく教員やATをも目指せる、つまり幅広く学べるという点が、現在の柔整大学の最大の特徴だと思います。

 したがって、4年間学ぶといっても柔整以外の領域について多くの時間を割くことになります。さらに専門学校との比較において、柔整大学の柔整分野の教育レベルが格段に高いかというと、必ずしも全てがそうというわけではないように思います。

 私は「差別化」が始まるのは、柔道整復学が他の学問領域、とくに整形外科学に対する相対的独自性を明確に持ち、さらにそれが成熟してから、つまり柔整独自の確固たる研究が確立してからだと思っています。大学教員の使命は、この柔整独自の研究を何かの片手間にではなく推進することだと思います。教員はその過程を学生と共有する。それが大学の価値であると思います。教える側が専門学校と同じ内容を同じレベルで教えているとすれば、大学と専門学校の「差別化」は絶対に起こりません。これは、大学で教えるにあたり、私自身が気をつけてきたことです。

 現段階での「差別化」は、大学と専門学校の違いではなく、接骨院や整形外科で「研修」したか否か、またどれだけ良質な「研修」を経験したかに起因しています。卒業直後の段階において、研修している者とそうでない者は、技術やコミュニケーション力などで圧倒的な違いがあることはよく観察されることです。また、この現象は試験の成績との相関関係がなかったりもします。

 現段階では、臨床現場でも学問領域でも、柔道整復師の相対的独自性はきわめて不明確です。私は、柔道整復師の相対的独自性は徒手整復、つまり「ほねつぎ」にあると確信し臨床と教壇に立ってきました。ほねつぎの技術は、カン、コツ、さじ加減という、自然科学が最も苦手とする領域のものです。したがって、必ずしも明白な学に裏打ちされていなくとも、技があれば治せる場合があったりします。学はもちろん大切で、追究し続けなければならないことです。しかし、学を深化させる前に、まずは柔道整復師として最低限の技を持っていることが重要であると考えます。

 そこで重要になってくるのが「研修」の役割です。本物の、生きたほねつぎの技を見ること。現場にしかない暗黙知や先達の価値観を感じ取り身体化すること。これは高度な学問と同じくらい、またそれ以上に重要なことだと思います。試験が課されるわけではなく、留年があるわけでもない。にもかかわらず、「現場の教育力」には、すさまじいものがあります。私は、大学育ちでも専門学校育ちでも、良質な研修こそが柔道整復師の教育、養成にとって、最も大切なことではないかと思っています。したがって、現在の「研修」を忌避する傾向には、歯止めをかけなければなりません。「骨の接げるほねつぎ」は、間違っても一朝一夕に成ることはありません。

 大学でも専門学校でも、養成機関で学ぶ傍ら、また資格取得後でも、とにかく充実した研修期間を経ること。その上で、軸足はあくまで骨折・脱臼の治療、つまり「ほねつぎ」に置いて、残りの片方の足をスポーツ障害、慢性疼痛治療、さらには介護分野などに置く。柔道整復師の役割は、その数の増加とともに多様化していますが、軸足はほねつぎから外してはならないと思います。

 大学が設置され、柔整独自の研究環境は整いつつあります。しかし、大学病院とは異なり、接骨院は小さな地域に密着してこその存在です。今後も、大学だけではなく「在野の研究」が重要であることは言を俟ちません。しかし、柔道整復師のもとを訪れる骨折・脱臼の患者が減少している中で、柔道整復師の「ほねつぎ」としての社会的使命は不明確になっていると言わざるを得ません。それが時代だと諦観するのではなく、そんな今こそ、いま一度「研修」の重要性に立ち返るのが重要なのではないでしょうか。行く末も来し方も、柔道整復師は師匠のもとで修行して一人前になっていくのです。



 年度末になると、いつも思い出すことがあります。私がまだ教員になって2年目、年度最後の授業で、ある学生さんが私にこう言いました。

 

 先生、僕は、先生の言う「骨の接げるほねつぎ」になりたいです。接骨院と看板に書いてあって、骨折や脱臼は診ま せんというのでは、ラーメンを食べたくてラーメン屋に入って「ラーメンください」と言ったら、「いやウチはラーメンやってないから」と言われるのと一緒ですよね。僕はそんなラーメン屋はイヤだし、そんな接骨院もイヤです。僕は、ラーメンを出せるラーメン屋でありたいです。しっかり修行して、骨の接げるほねつぎになって見せます────。

 

 彼が今、「骨の接げるほねつぎ」として活躍しているかはわかりません。でも、ほねつぎ魂は忘れないでいてくれると思います。

| 仕事・ライフワーク | 10:30 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

被災地で泥かき〔3〕最終回

〔1〕 〔2〕

山元町での活動を終え、復路は高速道路を使わずに仙台まで戻る。

亘理郡を抜けると、名取市に入った。
名取市も津波に飲まれた、海沿いの街である。

港近くの、閖上(ゆりあげ)地区を訪れた。
以前も牡鹿で感じたが、雑草が伸びてくると、この場所が以前から
このように荒涼とした場所であったかのように感じられる。

閖上地区1


写真の家は、原っぱに佇む一軒家ではない。
このあたり一帯、家屋が密集していたのだ。

閖上地区2


見渡すと、近くに高台は全くない。
唯一、築山のような小さな丘があったが、津波はこの丘も凌駕したという。

しばらく走ると、平屋建ての立派な建造物が見えてきた。
高齢者のための施設だったのだろうな、と思う。

近づくと、特別養護老人ホーム、在宅介護支援センター、デイサービスセンターの
複合施設であることがわかった。

津波を背に受けるかたちとなったのか、玄関付近の損壊は少ない。

施設外観1


海に面した、眺めの良い施設だったんだろうな、と思う。
居室の窓ガラスはことごとく割れ、残されたカーテンが強風にはためいていた。

施設外観2


このホールはリハビリの部屋だったのか、歩行訓練用の階段が見える。
壊れたブラインド、翻るカーテン、斜陽。

施設内部1


すさまじい破壊。

施設内部2


居室。泥もベッドも片付けられていた。

居室1


場所により、居室の破壊の程度が異なる。

居室2


ここに看護師や介護士のステーションがあったのだろう、
入居者のネームボードが、そのまま残されていた。
たくさんの方が入居していたことがわかる。

これだけの数の、動けなかったり足が不自由だったりするお年寄りを、
一斉に避難させるのは不可能に近かっただろう。
まして建物は1階建ての部分が多く、津波を避けようにも上る場所がない…。

ナースステーション跡


施設内部の壁や柱には、津波の水位がくっきり。
2メートル弱くらい。

津波の高さ


機械浴の浴場。
壁材が剥がれ、ガラスが割れ、窓枠も歪んでいる。

特殊浴場


水に滲んだ写真があった。
誕生会か何かの時の写真なのだろう、おばあちゃんが、いい笑顔で写っている。

写真


そうそう、おばあちゃんて、「指先のリハビリ」って言って、
新聞広告の紙で箱を作るんだよな。
こんなにたくさん作ったんだな。

広告の紙で


居室のすぐ外に車いすが。

車いす


廃墟となった施設を巡りながら、わたしは初めて、胸が詰まるのを感じた。
震災から9ヵ月、5度目の被災地訪問で、まぶたが熱くなったのは初めてのことだった。


この時、わたしが重ね合わせていたのは、母と祖母のことだった。


わたしの母は、静岡市内の特別養護老人ホームで働いている。
何度か、母の職場を訪ねたことがある。
たくさん人がいるのに、何とも言えない、静かで穏やかな空気。

そこで暮らしている、穏やかな表情のお年寄りたちを思い出した。
そして、いつもそんなお年寄りたちに、こころを寄り添わせている母のことも。

静かで穏やかな空気が、ここにも流れていたのだろう。
穏やかな余生を送る多くのお年寄りがいて、一緒に泣き笑いする職員がいて。

そんなかけがえのない空間と時間が、一瞬で奪われてしまった。


また、今年の1月、わたしの大好きだったばあちゃんが亡くなった
ばあちゃんは、最期を、北海道の特別養護老人ホームで迎えた。

最後まで自宅に住み続けたいと願っていたばあちゃんだったが、
家族や周囲が一人暮らしを心配するからという理由で、施設入所を受け入れた。

でも、施設に入ってたった4ヵ月で、
ばあちゃんは肺炎をこじらせて天国に行ってしまった。
わたしは、ばあちゃんに会いに行けなかった。
ばあちゃんに、会いたかった。

被災地の、誰もいない施設に、わたしはばあちゃんを見たのかもしれない。

この施設でも、多くのお年寄りや職員が命を落とされたそうである。
亡くなった方につながるどれだけ多くのひとが、胸を痛めたことかと思う。
どれだけ、最後に会えなかったことを悔やんだんだろう、と。



後で知ったのだが、5月の連休、この施設の片付けに、
わが母校・日本福祉大学の学生有志が赴き、汗を流したそうである。
知らずに訪れた場所だったが、縁とか導きとか、そういうものがあったのかもしれない。


閖上に思いのほか長居してしまった後、仙台に戻る。
道中、スーパー銭湯に寄り、汗と泥とを流した。

お風呂では、ボランティアバスのご一行様と思しき皆さんと一緒になった。
日曜日の夕方。
このひとたちも、明日は仕事なんだろうな、と思う。
まずはそれぞれの場所で頑張ることが大事なんだよな。


ほんの短い時間だったが、今回の被災地でも様々なことを感じた。
また行こうと思う。淡々と、できることだけやっていこうと思う。

おそらくは今年最後の被災地訪問記は、以上である。

| 仕事・ライフワーク | 01:03 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

被災地で泥かき〔2〕

記事〔1〕

翌朝はスッキリと晴天。
しかし、ものすごい強風!暴風警報が発令されていたらしい。
気密性の高いホテルの窓枠でも、風が吹きつけるたびに音を立てていた。

7時過ぎに仙台を出発する。
ちなみに12月上旬現在、宮城県下の有料道路は無料で通行できる。

仙台東部道路を南下。
震災の日、この盛り土構造の高速道路は、内陸への浸水を止める防波堤の役割を担った。
また、周囲に高台のないこのあたりの人々は、この道路に上って難を逃れたという。

しばらく走ると、仙台空港が見えてきた。
ここでの大規模な被害も、記憶に新しい。

亘理へ


強風にハンドルを取られそうになりながら、亘理までたどり着く。
そこからさらに南下し、山元町へ。

亘理郡山元町は、福島県に接した海沿いの町である。
亘理郡の浸水範囲は広範で、大きな被害を出した。

12月3日時点において、死者が614人、行方不明が3人(死亡届提出の15人を除く)。
家屋は、全壊が2213棟(うち流出1013棟)、大規模半壊526棟、半壊543棟。
山元町HPより


前回の記事にも記したが、この山元町を中心に活動しているのが「スコップ団」である。
装備と保険と食糧とを調えて行けば、個人の飛び入りOKの珍しい団体である。

写真はスコップ団のトラック。
これにスコップはじめ必要な道具を積み込んで、どこでも駆けつけるのだそうだ。

スコップ団のトラック


スコップ団の集合は、JR山下駅前に9時。
この日は、見たところ50人程度が集まった。

山下駅前


ちなみに山下駅は、JR常磐線の駅。
山下駅を含む広野~亘理の約100kmの区間は、
津波および福島原発の被害により、現在は不通となっている。

山下駅


ホームにも線路にも草が生い茂り、
ここに電車の往来があったことが信じられない感じである。

山下駅線路


自転車置き場には、自転車や原付が泥まみれのまま放置されていた。
当然、このように整然としたまま被災したわけではないだろう。
散らばった自転車や原付を、ここに集めて並べた誰かがいるのだ。
でも、これらを取りに来る人はもういないんだろうな、とも思う。

自転車置き場


さて、今日のスコップ団の活動は、駅前の床屋さん。

今日は床屋さん


ここを、数十名で一斉に片付ける!

最初は、これだけ人数がいるんだからいくつかのグループに分かれるのかな?
と思っていたが、とんでもない。
数十人で一斉に、よってたかって片付けるから片付くのである。

みんなで


指示、指揮する人は誰もいない。

初めて参加したわたしは、最初戸惑ったが、そのうち、
各人ができる場所でできることをやればいいのだと気づく。
重いものや大きなものを運ぶ時は、誰彼に声をかければみんな快く手を貸してくれる。

力自慢は力仕事を。
メカに強い人は機械の取り扱いを。
細やかな仕事が得意な人は、分別の仕事などを。

わたしは、家屋周囲の泥かきと納屋と車庫の片付けに取り組んだ。
泥の中から、雑草の下から、本当に膨大な量の生活の痕跡、思い出の品が出てくる。

このぬいぐるみの持ち主は、無事だろうか。

ぬいぐるみ


活動のはじめのころは、ご遺体が見つかることもあったそうである。
そう思うと、スコップのひとかきにも慎重になる。


現場には危険もたくさんある。

泥や埃の粉塵。ガラスや金属の破片。家屋倒壊の危険。そこかしこに突き出た古釘…。
泥かきや家屋の片付けに従事する人びとは、破傷風の予防接種をするべきだと思った。

釘


ひとつのお宅から、これだけのものが出た。

まず、土砂。

土砂


木材、布、紙、金属、家電製品。
ざっくりとではあるが、分別する。

分別


片付けをするたびに、そのお宅の人に廃棄するものとしないものとを
確認してもらうそうだ。

今日手伝わせていただいたのは、表が理容店、裏に書道塾というお宅であった。

たくさんのハサミやドライヤー、年季の入った重たい床屋椅子、割れた鏡。
筆、すずり、滲んで読めない手習いの半紙、塾生の名の書かれた木札。

「御誂」と書いた箱が出てきた。
中には、七五三のためにあつらえたのであろう子供用の着物。


たくさんの思い出。

問わず語りに思い出を語り、涙するひともいれば、
「全部捨てちゃっていい」と言うひともいるのだそうだ。

家屋やモノの片付けは、当事者では手がつけられないだろうな、と思う。
手をつけたとしても、全然捗らないだろうな、とも。

だからこうして、大勢の他人がどやどやとやってきて、よってたかって片付ける。
それがきっかけで、ようやく新たな一歩を踏み出せるひとも多いのかもしれない。


活動がひと段落したので、片付けをしたお宅のとなりの建物を覗いてみた。

生協のスーパーマーケット。
ねじまがったシャッターと割れたガラスの中は、まったくの手つかず。
棚は店内の奥まで押しやられ、床に商品が散乱していた。

駅前コープ店内


活動終了。本日は1軒のみ。
道具をトラックに積み込み、解散。

たくさんのスコップ


しかしとんでもない強風だった。
最初は寒くて凍えたが、活動が終わる頃には汗びっしょり。

強風!


まだ片付いていないお宅もたくさんある。
もうすぐ本格的な冬。

冬の太陽

〔3〕へ続く

| 仕事・ライフワーク | 01:24 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

| PAGE-SELECT | NEXT

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。