くまの窓 ~柔道家・柔道整復師・大学教員のいなじのブログ

柔道家で、柔道整復師で、大学教員のいなじのブログです。

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ばあちゃんからのプレゼント③

さて、通夜が明け、22日の朝。
葬儀が行われるのだが、朝まで降り続いた雪のため、道路は除雪が必要に。

ばあちゃんの出棺ができるようにと、沼田町の役場が除雪車を出し、
お寺から火葬場までを除雪してくれた。

土曜日の朝なのに、役場が動いてくれる。
公共機関の心遣いがありがたいなあと思う。

除雪作業


除雪車。
静岡では絶対にお目にかかれないクルマと風景に、ちびたち瞠目。
わたしも子どもの頃、除雪車が雪を豪快に飛ばすのを見るのが好きだったなぁ。

除雪車


葬儀(告別式とは言わないんだそうだ)の供養が終わり、火葬場までバスで移動。
このバスも、少人数しか乗らないのに、地元のバス会社さんが好意で出してくれた。
(しかも大型バス!)

雪は降り続き、とんでもない視界不良。
写真は運転席から前方を見たところ。道路と道路わきの雪の境界がわからない。
静岡人には絶対に運転できない状況。

「こりゃあ北海道の人間だって大変」という雪の中、バスは進む。

大雪で視界不良


恵比島のひと駅手前、真布(まっぷ)に沼田町の火葬場がある。
山の中腹にぽつんと立つ煙突の小さな建物。
都会の火葬場とは似ても似つかない、炉がひとつだけの、小さな小さな建物。

火葬場は深い雪の中


じいちゃんのときも、ここで最後のお別れをした。
あの時、ばあちゃんは、ここで初めて泣いたんだった。

パーキンソン病で表情が乏しかったばあちゃんが、ハンカチで目頭を押さえて、
本当に悲しい顔をしたのを、わたしはよく覚えている。
それを見たガクが、ばあちゃん見てられないやあ、と涙を流したことも。


ばあちゃん、もうすぐじいちゃんに会えるよ。


残されるわたしたちは、悲しい。
でも、天国には、じいちゃんも、ばあちゃんがかわいがっていた
歴代のわんこもにゃんこも勢ぞろい。
きっと、ばあちゃんが寂しいことはない。


わたしはソウタを抱っこして、最後のお焼香をした。

ばあちゃんとお別れをする最後のとき、叔父は、
とても穏やかな顔でばあちゃんの顔を見つめていた。
優等生だった父と違い、叔父はばあちゃんを困らせてばかりだったという。

何度も悪いことばかりしてね、おふくろさんといろんなところに謝りに行ってね…

通夜の晩は、そんな思い出を話してくれた。
静岡に出てきてしまった父の代わりに、ずっとばあちゃんを支え続けてくれた叔父。
いつも親切で細やかで、本当に父の弟か、と思う。

でも、ふたりとも、ばあちゃんの自慢の息子だったんだなあ。


田舎の火葬場は、火葬するのに時間がかかる。
都会なら1時間程度なのだろうが、この日は、2時間半と言われた。

山を50メートルほど下った休憩所で、しばし待つ。
その間、わたしは叔父と買出しに行く。クルマで片道20分ほど、石狩沼田駅の周囲。

おふくろさんもここのお弁当が好きでね、
コンビニのだけど、おいしいんですよ

という、北海道に1000店舗展開するコンビニエンスストア
「セイコーマート」の豚丼とカツ丼。

テツとちびっこたちは雪遊び、その間、ガクとわたしでがつがついただく。

セイコーマートの豚丼とカツ丼


ばあちゃんの火葬が終わって、休憩所に連絡があった。
しかし、母と叔母が叔父と一緒に、また買出し(今度はおみやげ)に出かけていて
全員が揃っていなかった。

わたしは、ひとり大雪のなか坂道を登り、火葬場に行った。
扉を開けると、すぐの場所でばあちゃんが待っていた。


うわあ、立派な骨だな!


これが感想。
ほねつぎのわたしからして、それは見事な骨だった。


ここの火葬場は、炉からそのままの格好で骨が出てくる。
つまり、骨を拾いやすいように、あらかじめ火葬場の職員が
大きいのをピックアップしておく形式ではなく、
棺を載せていた台車ごと外に出して、骨と灰を拾う。
じいちゃんのときもそうだった。
ちょっとギョッとする人もいるだろう。


ここの主は、穏やかさと厳粛さを兼ね備えた、たいへん味のあるおじさんである。
この田舎の、雪深い火葬場をひとりで守って、静かに多くの方を送り出していらっしゃる。

そんなおじさんが、静かにばあちゃんの骨の横にいた。


おじさんは開口一番、静かな穏やかな声で、


大きな、鍛えた方だったんですね


と言った。


おじさんは、生前のばあちゃんとは面識がない。
だから、生前の、まして元気だった頃のばあちゃんの姿は知らないはずなのだ。
(じいちゃんのときは別のおじさんだった)

さすがプロ。
骨で体格や骨の強度まで当ててしまうとは、さすがである。
わたしもほねつぎで、骨とは切っても切れない職業であるが、
「骨屋」にはほねつぎ以外にもいろんな職業があるんだな、と思った。


そう、ばあちゃんは、最後は小さくなってしまったが、かなりの大柄だった。
鍛えたというより、仕事は力仕事でも何でもしてきたから、
それでしっかりと骨が鍛えられたんだな。

また、じいちゃんが働く炭鉱の奥さんたちの「女相撲」の横綱で、
近隣の村との対抗戦でも横綱だったんだと。

これは通夜で、住職が教えてくれた。
小柄だったじいちゃんは、横綱のばあちゃんが自慢で仕方なかったんだって。


おじさんと、ばあちゃんの骨をはさんで向き合って、
しばし、ばあちゃんの骨と人生について語る。
やさしい穏やかな顔で、わたしの話を聞いてくれるおじさん。
この崇高な仕事は、仕事ってだけではできないな、と思った。


20分ほどしてようやく全員が揃い、みんなでばあちゃんの骨を拾った。

そんなわけで、ばあちゃんの人生のように、文字通り骨太なばあちゃんの骨は、
骨壷に納まりきらず。

おじさんが、誰か骨を砕いてあげてください、と言ったが、
喪主である叔父をはじめ、みんなが躊躇した。
じいちゃんのときは、その時火葬場の主だったおじさんが砕いてくれたし、無理もない。

なんとなく、おまえほねつぎだよな、という視線がわたしに集まった。
みんなが納めた骨を、ほねつぎになった初孫が砕く。
ありがとう、ありがとうと言いながら。

女性は通常、70歳を超えるとほとんどの人が骨粗鬆症となる。
でも、ばあちゃんの骨は、かなり力を入れても砕けない部分があった。


ばあちゃん、さすが横綱だね。

最後に骨の勉強をさせてくれてありがとう。


ばあちゃんは10年ほど前、変形した背骨を支えるために、
脊椎固定術という大きな手術をした。
ばあちゃんの腰椎には、その痕跡の、大きなネジが4本残っていた。
ネジのほかに、焼け残ったセラミックの2㎝ほどの部品。
わたしは、叔父とおじさんに言って、その小さな部品をもらった。
ばあちゃんのおまもり。


骨上げが終わった後、再び迎えに来てくれたバスに乗り込み、お寺に戻る。

動き出したバスの中からふと火葬場を振り返ると、
大雪の中、おじさんが、微動もせず頭を下げているのが見えた。
わたしもおじさんに頭を下げた。


お寺で繰り上げ法要を済ませ、ばあちゃんの葬儀は終了。
ばあちゃんもみんなも、お疲れ様。


この後、叔父一家に別れとお礼を告げ、ばあちゃんが好きだった「幌新温泉」へ。
なんだか長編になってきたけど、次回が最終回です。(笑)

| 大切なひとたち | 01:31 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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