くまの窓 ~柔道家・柔道整復師・大学教員のいなじのブログ

柔道家で、柔道整復師で、大学教員のいなじのブログです。

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にいちゃんの卒業

先日、わたしの古巣であるK整形外科に、新人紹介の挨拶をしてきた。
10年間、わたしがほねつぎの基礎基本を叩き込まれた柔道整復師の虎の穴。
そこに4月から、わたしが教えた学生さん…改め、この春晴れて柔道整復師となった
新米先生がお世話になることになっている。

この春。
新人と入れ替わりで、K整形外科の柔道整復師主任であるハヤカワ先生は、
15年を勤め上げ、退職する。

ハヤカワ先生、早にいちゃんは、わたしの直近の先輩。
生粋の骨職人。学術も技術も素晴らしい(マジで)ひとである。
わたしのほねつぎ人生、すぐ前にこのひとの背中があったのは大きい。

早にい入職の2年後にわたしが入職。
わたしはまず、早にいに、でっち(下積みの雑用)のイロハを教わった。
そして徐々に、臨床の様々なことを教わり、いろんなピンチを助けてもらった。

また、ちからを合わせ(悪だくみし)ながら、いろんなことを乗り越えてきた。
先輩に対し僭越なのだが、戦友だと思っている。

最初はふたりで、どうやって時に理不尽な先輩に対処するかを考えていた。
中堅になってくると、難しい症例にどう対処するか、来る日も来る日も考えていた。
そして上がいなくなると、どうやって時に理不尽な後輩を指導するかにこころを砕いた。

そんな様々な場面で、わたしたちの決まり文句は、

「イナ、ちょっと青空、見上げちゃおうか?」

「先生、ちょっと青空、見上げませんか?」


くもりの日も、青空。小雨の日も、青空。

病院の裏手、倉庫との隙間に、職員が一服するナイショの場所がある。
にいちゃんとわたしは、こっそりここに来て、いろんな話をした。

わたしはタバコを吸わないので、その時の風向きによって立ち位置が違うのがお約束だった。

病院裏


にいちゃんと、ここに何回来て、どれだけの話をしたんだろう。

冬は寒く、夏は暑く。
それでも時々病院の外に出て、外の空気を吸う必要があった。
臨床も人間関係も、緊張の連続だった。


早にいとの思い出は尽きない。

ある日の、午前診療の最後に。

わたしは、学校の朝礼台から落ちたという子どもの急患に対応した。
肘の外側の骨が折れる、上腕骨外顆骨折。しかも回転型だった。
それまでに、何例か回転型ではない外顆骨折は経験していたが、回転型は初めてだった。

これは大物である。
多くの医療機関で、また医学書で、この外傷は「手術療法の絶対的適応」とされる。

K整形外科の柔道整復師は、骨折や脱臼を手術しないで治す!ことに絶対的価値を置く。
つまり、上腕骨外顆回転骨折は、ほねつぎとしての矜持を賭けなければならない外傷である。

震える手、泣き叫ぶ患者、血腫の中を転がる骨片。
そして、先輩たちの射るような目、自信も経験もない自分。

あたまが混乱して、やがて、真っ白になった。

指に骨片の感触が伝わらなくなった。
自分が何をすべきか、判断ができなくなった。
こんなわたしがこれ以上いじることは、患者をさらに壊してしまうと思った。

そしてわたしは、ほねつぎとしていちばん恥ずかしい言葉を口にした。


すみません、代わってください


その時、わたしを取り囲む数人の先輩たちの中で、代わってくれたのが早にいだった。

わたしは茫然と早にいの整復を見ていた。
少しいじって、早にいは、軽くうなずいて「返りました」と言った。

わたしはその後の一連の流れにも、加わることができなかった。

ほねつぎなのに、骨が接げなかった。
悔しい恥ずかしい情けない…。


全ての処置が終わった後、当時の主任だったS先生がわたしの肩を叩いた。

イナ、メシ食おうぜ!

この状況が、どれだけわたしを傷つけているのか、傷ついてきた先輩たちは知っているのだ。


わたしは、メシが食える状態ではなかった。

こんな時、わたしはいつも、誰の目にも触れない外階段に座って泣いていた。

非常階段


昼休みが終わる頃。
早にいがひょっこり、外階段にやってきた。


やっぱりここにいたか。イナ、メシいいのか


返事をしようとするが涙で言葉にならない。
早にいはしばらく黙ってから、口を開いた。



さっきの患者、オレが取ったみたいになって悪かったね。イナ、悔しいよな。

オレもさ、カッコ悪くてイナには言ってなかったんだけど、
初めての回転型の時、レポ(整復)できなくて、Y先生に代わってもらったんだよね。

しかも、オレの場合は深追いしようとして、途中で代われって言われて代わった。
だからイナが、代わってくださいって言ったのは、すごく勇気がいることだったと思う。

イナ、悔しかっただろ。でもこれで、イナのことだから、すげー勉強するだろ。
オレもそうだったよ。悔しくてさ。めちゃくちゃ勉強した。
だから今日、うまくいったと思う。
だからイナも今度は、絶対うまくいく。

落ち着くまでここにいていいよ。
午後の最初はオレがやっとくから…



この時のことを思い出すと、今でも涙が出てくる。

この他にも、わたしが泣いていたりへこんでいたりすると、
いつも必ず何気なく声をかけてくれて、かばってくれた。

早にいに、こうして何度も助けてもらって、そして育ててもらったなぁと思う。


他にも、語り尽くせない。

渾身の宴会芸、チャーハンハンドメイド事件、午前3時のニーター事件、
両踵骨骨折親不孝娘説得事件、ピザの粉でお好み焼き事件、リータロー接待事件、
グリーンバブル事件、クラブバブル事件、オヤジ譲りの陥入爪悪化事件、
メリー暴走事件、鳴子師匠激怒事件、ですな!事件、粟原接骨院事件…


わたしは3年前、母校の教員になるために、早にいより早く退職した。
早にいがいたから退職できたのである。
わたしがいなくなっても、早にいがいてくれるという安心感があった。
同じ頃に辞めた仲間がわたしの他にふたりいたのだが、同じ気持ちだったと思う。


退職後も、わたしが病院に顔を出した時は、在職中と変わらず青空を見上げたものである。

アニキの青空


もう早にいと、青空を見上げることもなくなるんだなぁ。

そう思うと、なんとも言えず寂しい。
K整形外科にとっても、今後しばらくは、大いなる試練の時である。
後輩は踏ん張らなければ。我らが早にいは、晴れて卒業なのである。


ハヤカワ先生、15年間お疲れ様でした。
故郷に戻られてのご活躍、お祈りしています。

またスッパイ汗かいて、にがじょっぱいお酒、飲みましょうね。
本当に本当にありがとうございました!

早兄と
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