くまの窓 ~柔道家・柔道整復師・大学教員のいなじのブログ

柔道家で、柔道整復師で、大学教員のいなじのブログです。

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被災地支援活動 第2弾④ 最終回



さて、旧雄勝地区での活動を終え、クルマは北上川沿いを走る。

子どもたちと先生たちに甚大な被害の出た大川小学校付近は、いまだ通行止め。
行方不明になっている先生は見つかったのだろうか。ふと思う。

前回も思ったが、この穏やかな流れの川がなぁ…と思う。
しかも河口から5キロの地点である。
津波が来ることなど、想起し得なかったのではないか。

北上川の夕日


宿泊先である東松島市に着く頃には、筋痛が出始めた。
何人も施術し、おまけに運動会に参加してあろうことか綱引きで優勝したのである。
くたくたである。


さて、われらがリーダーY先生。

「みんなよく頑張ってくれました!こんな時は寿司だね、寿司寿司、寿司!」

というわけで、わたくしたち、帰着後すぐに寿司を求めてふらふら外出。
タクシーの運転手さんにおススメのお寿司屋さんを聞き、連れて行ってもらう。

こんな余裕は前回はなかった。
被災地で寿司食うなんて不謹慎!って思ったと思う。
また、魚市場が動いてないのに、お寿司屋さんが営業しているはずもなかった。

タクシーで向かった石巻の商業地区は、津波の被害を免れた地区である。
この日は、クルマが一部渋滞し、混雑していた。

そうか、土曜日の夜だもんな。
そういえば、避難所から出勤しているひとが何人もいた。
避難所の壁に求人情報が貼られていた。

仕事がある、商品がある。お寿司が食べられる。
経済の復興を身を以て感じた次第である。

って、いただきます!

お寿司っ!


というわけで、おいしいお寿司、Y先生にご馳走になってしまいました。
Y先生、ご馳走様でした!


そして2日目の晩も4人で雑魚寝。
部屋は昨晩に増しての狂想曲。
しかし疲労はそれに勝り、わたしもすぐに寝てしまった。


さて、朝起きるとリーダーがいない。
なんとY先生、ひと足早く起きてコンビニまでクルマを走らせ、
朝食を用意してくださっていた!

しかも「野菜とらなきゃね~」と、数種類のサラダを
紙皿に盛り合わせるという細やかさ!

そんな心づくしの朝食をいただき、あいにくの雨と強風の中、最終日の活動開始。

まずは牡鹿半島でドライブインと旅館を経営している個人宅へ。
駐車場のひび割れがひどいが、家屋に大きな損壊はなく営業再開、
現在はボランティアや震災関連の仕事で宿泊している人がいるのだそうだ。

駐車場のひび割れ


ここで施術させていただいたご夫婦は、20年来通院していた接骨院が被災、
院長先生が亡くなり、治療する場所がなくなってしまったそうである。

「そろそろ限界」と思っていたそうで、我々の訪問をたいへん喜んでくださった。
長い長い災害慢性期を迎えた今、日常のケアが求められているのだなぁと痛感した。

ここでの活動の後、福貴浦をまわる。


今回の活動で思ったのは、どこもかしこも、藤が満開で美しい!
写真は、福貴浦避難所前の藤。

藤が満開


その他の花も。
写真はガレキの向こうに見えた山ツツジ。

それでも花は咲く


それでも花は咲くんだよな。東北はいま、遅い春なのだ。


活動の最後に、情報を仕入れに石巻専修大学へ。

ここは石巻市ボランティアセンターの本部が置かれ、
ボランティアのテント村が形成されている。
前回よりもテントの数が増えていた。

前回感じた雑多な印象はだいぶ落ち着き、様々なことが系統立ってきているのを感じた。
現在は、全国の社会福祉協議会から、交代でスタッフ派遣が行われているとのことである。

そして、ボラセンの廊下でこんなものも発見。
全日本女子柔道選手権9連覇、去年惜しまれながら引退した
われらが塚田真希選手のサイン色紙である。

つかっちゃんがガレキの片付けをしたら、
ヘタな重機よりいい仕事をするであろうな、と思う。

つかっちゃん


Y先生はお医者さんであり、現在は体育系大学の先生でもある。
若さと体力のあり余った学生有志をボランティアとして
活動させるには…と、思案を巡らせていた。

また、少数精鋭のわが校の学生にも、ボランティアをしたいと言っている者がいる。
全国、全世界に存在するであろうこのような思いと、実際の活動とを結びつける
「マッチング」が、今後はますます重要になってくると感じた。

ボランティアの受け入れで最も大変なのは宿泊先の確保である。
しかし、道路が混雑していなければ、早朝発の深夜着の日帰りで
たっぷり一日は活動できるのではないか。
Y先生と、ひとしきりそんな話をする。


そして、石巻専修大学は、なんとこの日(22日)が入学式!
当初は4月4日に行われる予定が延期になってこの日の開催だったそうである。
学内には「ご入学おめでとうございます」の横断幕。
教育をしながらボランティアの受け入れも行う石巻専修大学に、本当にあたまが下がる。

学生さんたちが、この時期に被災地の大学に進んだことを矜持として、
東北のパワーとなってくれることを願う。
(ってそんな学長式辞だったのであろう)

ちなみにこの年、ストレートで入学してきた18歳の学生たちは、
小学校入学の年が阪神淡路大震災の年であった。
運命の巡りあわせを思う。


さて、石巻専修大学での情報収集と活動報告を終え、今回の活動は終了。
今回もいろいろなことを感じた。

前回はまだまだ混乱期で、とりあえず短期的視点でものごとを処理するしかなかった。
しかし今後は長期的視点に立って判断をしていかなければならない。

まだまだ先の見えない復興。ガレキの量が、膨大過ぎる。

町をどう再建するのか。元の場所に住むのか住まないのか。

仕事は?転職するのか、元の仕事を続けるのか。そもそも元の仕事ができる状況なのか。

子どもたちは?疎開するのか、しないのか。放射線の影響は?

そして今もまだ、たくさんの行方不明者。
ある集落でも、わたしたちが訪問した日、「男か女かわからない」ご遺体が見つかった。

アクセスしやすい地域ばかりが手厚い現状は改善しなければならない。
余力のある自治体がカウンターパート方式で支援していくことが提唱されている。
格差解消のためにも、これは効果のある方策なのではないか。

ちなみに、そこに「確実・公正に」振り分けられるのであれば、わたしは消費税増税にだって甘んじる

わたしたちボランティアも、継続しての支援をしていかなければならないことを感じた。
「二度目の訪問」を喜んでくださる人々の、なんと多かったことか。
そして、「今度はいつ来てくれる?」「また来てね」の言葉である。

予想もできない長期戦は始まっている。
「被災地」は当分なくならない…。


そしてわたしたちは、帰途に就いた。
高速道路から海側を見ると、延々と津波の爪あと。
宮城の先には岩手もあるわけで、途方もない被害を改めて思う。

復興がかなった頃、のんびり観光しながら牡鹿を訪れたいという気持ちは変わらず。
その時はあのおとうさんとお酒が飲めるかな?
被災地わんこのジャムは帰ってきてるかな?


Y先生、N先生、K先生、ありがとうございました。
厳しい状況でも、チームワークで楽しく動けた3日間でした。

まだまだわたしたちにできることは、たくさんありますね。
またご一緒することがあると思います。その時はまた、よろしくお願いします。
なんといっても、「ミッション・Lチキ」が完遂してません!


最後にもう一度。

受け入れてくださった被災地の皆さま、ありがとうございました!
Y先生、N先生、K先生、ありがとうございました!

長期戦、頑張っていきましょう!
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| 仕事・ライフワーク | 23:04 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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