くまの窓 ~柔道家・柔道整復師・大学教員のいなじのブログ

柔道家で、柔道整復師で、大学教員のいなじのブログです。

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被災地支援活動 第3弾〔2〕

記事①

さて、十八成浜での活動を終えたわたしたちは、峰耕寺へ。
十数年前に立てられたという立派なお寺に、たくさんの方が避難している。

杉林の急斜面を上ると、峰耕寺。
ここはなんと、数日前に電気だけでなく水道が復旧したとのこと。
水洗トイレが使えるようになっていた!

ここでもアンケートと聞き取り、それから施術、再度のアンケート…という流れ。
最初は戸惑っていた学生のS&Yコンビも、人生の先輩方との会話に慣れてきた模様。

広い本堂で、それぞれがそれぞれの仕事を。

峰耕寺


わたしは前回も施術させていただいた、背中の曲がったねえさまを担当。
この避難所の女性は、エプロンをしている方が多い。ここに日常生活があることを思う。
ねえさまも、今日も三角巾にエプロン。


「調子はいかがですか」

「もう85歳なんだもの、ガタガタさぁ。あと何年ももたないべ」

「85歳!わたしが追いつくまであと50年ですから、待っててくださいね!」

「あと50年!そりゃ大変だ~」


外は雨。
気温が高くはないが、施術でからだを動かしていると汗が噴き出る。
からだを動かすのが柔道整復師の仕事なんだなぁ、と思う。

それぞれに


ここでは、他に興味深いお話も聞けた。
被災者の皆さんは、わりと地震当日のことを淡々と話してくれるのだが、
その中に1960年のチリ地震の経験談を話してくれた方がいた。


チリ地震の時、わたしはお嫁に来たばかりだったんだけど、海がすごい引き潮でね。
それですぐに高台に逃げろって言われて逃げて。そうしたら津波が来た。

この前の地震のとき、海が、チリ地震の時と一緒だってすぐに気づいた。
だからあの日も、大きな津波が来るってわかったから、すぐに高いところに逃げたの…



経験というのは、説得力がある。
50年前の経験が、生きたのである。

ふと思う。

東日本大震災を千年に一度の大災害、というけれど、
たった50年前に同じような大災害が起こっているのだ。

というと、わたしが先ほどのねえさまと同じ85歳に、
またねえさまが135歳になる50年後、同じようなことが起こるかもしれない…。


峰耕寺を後にするとき、みなさんが玄関で見送ってくださった。
さっきのねえさまが「あと50年ね、頑張らなきゃね」と笑っていた。
「また来てね」という言葉が本当にありがたい。



さて、次なる目的地に向かう、その前に。
おひるをだいぶまわっており、われわれのハラ時計のアラームも鳴りっぱなし。

Y隊長がつぶやく。


「ローソン、だな」


ちなみに牡鹿半島は、ほとんどの集落が壊滅状態であるため、営業中のコンビニは皆無。
牡鹿から雄勝に向かう時に市街地を通るのだが、その道中のローソンに照準。

そう。ローソンには隊長オススメのジャンクフード、「Lチキ&バンズ」がある。
前回、バンズがどこの店舗でも売り切れ、今回にリベンジを期す!

お、デブコーナーにLチキはあるな。
問題はそれを挟むパンである。

ジャンクフード




あった(・∀・)



Lチキバンズ


これがウマイのである。
車内で6名で、一斉にがっつく。腹が減っては戦はできぬ。

ボンドKは「Lチキチーズ」を、デブ柔整師のワタクシは「グリルチキン」で臨む。

食らうボンドガールズ


コンビニに行くと、改めて流通の偉大さを感じる。

コンビニやスーパーが復旧したから、ボランティアも都市部の被災者も、
かなり行動しやすくなってきた印象がある。

食料や水が現地調達できるって、当たり前のようでいてすごいことである。


③へ続く
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