くまの窓 ~柔道家・柔道整復師・大学教員のいなじのブログ

柔道家で、柔道整復師で、大学教員のいなじのブログです。

2012年03月 | ARCHIVE-SELECT | 2012年06月

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スタンド・バイ・ミー

現在、大学の学生課に勤務している。
学生課には窓口だけでなく、保健室と学生相談室もあり、連日学生さんで大賑わいである。

以前、現代における二十代前半の学生気質について、思うところを書いた。




  行くも勇気、留まるも勇気。

  進めないのは「みんなより弱いから」ではない。
  進まないことだって勇気がいるのだ。

  彼らに共通しているのは、他者に「弱さを見せられる強さ」がないということ。
  友だちに相談できない、家族に知られたくない…。




昨日の保健室。
朝から一人の男子学生が、保健室の応接セットに座っていた。
浮かぬ顔。生きにくいんだろうな、というのがひと目でわかった。


数時間後、昼休み。
彼はまだ、同じ場所に座っていた。
保健室の看護師さんと、学生課のパート職員のねーさまたちと、仲良くランチタイム。
笑顔爆発の元気な「おかん」たちに囲まれて、彼も控えめに笑っていた。

この職場に異動になってから、いつも思っていた。

ここのねーさまたちは、仕事というのではなく、ただその場に来た若者たちを受容する。
対人援助の専門性とか原理原則とか、そういったことは関係なく、「ただそばにいる」。
「ただそばにいる」ことが、若者の体温をたしかに上昇させていることを感じる。

それは、今までの教師としてのわたしにはできなかったことだ。
ここのねーさまたちだから、「ただそばにいる」ことができるのである。
つまり、「ただそばにいる」には、評価する存在であってはならない。

ねーさまたちは、学生たちが授業に出席せずにいても、後ろ向きの発言をしようとも、
やわらかくたしなめつつも、決して評価することはしない。
その立ち位置が、生きずらさを感じている若者の居場所をつくっているのだと思う。

わたしは今、大学においては評価する存在ではない。
今までは教員だったり臨床家だったりしたのだから、学術や治療においては評価する存在であった。
さらに専任教員としては、学生の生活にまで立ち入って指導しなければならないこともあった。
パターナリズムの功罪について悩み、考え続けてきた。

今わたしは、せっかく専任教員を外れているのである。
与えられた場所で、評価する立場を離れているのである。

今この場所でわたしは、学生たちの「ただそばにいる」大人で在ろう。
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