くまの窓 ~柔道家・柔道整復師・大学教員のいなじのブログ

柔道家で、柔道整復師で、大学教員のいなじのブログです。

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --:-- | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

被災地支援活動①

4月4~5日、あるスポーツ医学系NPO法人の理事長・Y先生の声かけによる、
被災地における支援活動に参加させていただいた。

活動の主眼は、宮城県石巻市~牡鹿半島近辺の避難所を巡回しての廃用症候群予防。

地図でもわかるように、牡鹿半島は半島そのものがリアス式海岸の集合体で、
集落ごとに小さな避難所がたくさん存在している。

宮城県
※msn 産経ニュースHPから引用、改変


4月2日に派遣が決まり、慌てて準備。

出発当日の午前、ボランティア保険に加入しに、いたばし総合ボランティアセンターへ。

申込書の「活動内容」の欄に、「被災地における支援活動」と記入して提出。
すると、受付してくれたスタッフのおじさんが、「行かれるんですか?現地に」と。
わたしが「はい」と答えると、おじさん、スタッフの皆さんに「この方、現地に行くんだって!」。

すると、スタッフの方々が興味津々という感じでわたしを見て、口々に、
「どちらへ?」「宮城の、どちらへ?」「何しに?」「何人で?」「どのくらいの期間?」…。

皆さん、「現地での活動」に対し、大きな関心があるようだった。
現地で役に立ちたいと思っているたくさんの方々がいるんだろうなと思う。

最後は「行ってらっしゃい!」「気をつけて!」「頑張ってきてください!」と、
出征兵士のように送り出され、ちょっと恥ずかしかった。
でも、地元・板橋ボラセンの応援?を受けての出発、ありがたいことである。


3日の夜出発。
ボランティアの基本は自立!ということで、食糧、水、シュラフ、長靴等で大荷物に。

行ってきます!


千葉県で、同行させていただくT先生と合流。
T先生の運転で、東北道を夜通し走る。(T先生、ありがとうございました!)

深夜であるにも関わらず、東北道の下り車線はけっこうな混雑。
コンテナに「支援物資」と記されていたり、
電柱を何本も積んだりした大型トラックが何台も通る。
不眠不休で、被災地への流通が脈打っていることを思う。

宮城県に入った頃から、高速道路に段差や地割れが出現し始める。
乗り越えるたびに、ガタン、ガタン!と、クルマに大きな衝撃が伝わり、
クルマが被災地に近づいていることを実感する。

早朝6時、宮城県東松島市に到着。
三陸自動車道の石巻港インターを降りてすぐの風景に驚く。

なぎ倒された電柱、泥が除去されきっていない道路。
いきなり、ここが津波の被害に遭った場所なのだということを実感する。

ベースは、奇跡的に被害が少なかった地区の病院。
1時間程度休んで、すぐに活動開始!

今回のチームは、整形外科医・リハビリテーション医であるY先生をリーダーに、
健康運動指導士であるT先生、そして柔道整復師であるわたしの3名。

クルマは東松島市から石巻市を通り、牡鹿半島へ。
そして牡鹿半島を回りながら、避難所のローラー作戦をしていく。
30日から現地入りしているY先生がコンタクトした避難所の再訪と、新たな避難所の開拓。

道路は、寸断されていたり土砂崩れが起こっていたりで、カーナビはほとんど役に立たない。
また、道路状況は日に日に変動する。

昨日通行止めだった道が今日は復旧している、あるいは、
今日は新たな土砂崩れが起こって通れない…というようなこともある。
そういうことも含め、すべてが手探り。Y先生の地道な活動に敬服する。

そして、そんなわけで、迷って間違ってたどり着いたのが女川町である。

津波の爪あと



Y先生が、「被災地」を初めて目の当たりにしたわたしに言った。


「言葉を失うでしょ」


本当に、言葉が出ない。
街がこんなことになるのか?これは現実なのか?


女川の中心部


テレビ報道ではわからない、津波の脅威に戦慄する。

「どこもかしこもこんな状況だよ。
ここはまだガレキが残ってるけど、ガレキすら流されちゃってるところもある」


女川町を引き返し、石巻市十八成浜(くぐなりはま)の避難所へ。

避難所の玄関。
テレビでおなじみだが、ここに誰がいるのかがわかるようになっている。

避難所入り口


Y先生、被災者の方たちと膝を突き合わせて、
血栓予防を中心としたおはなしとメディカルチェック。

血栓予防のおはなし

被災者の深部静脈血栓症は、避難から2週間を超過すると危険度が増すという。
厚生労働省からも注意喚起がなされている。

避難所の壁には手作りの血栓予防体操のポスター。

血栓予防の体操ポスター


アスリートケアの専門家であるT先生、ストレッチと体操指導。
「これ、ついでにヤセそうだね」と、頑張るおねーさま。

体操!


わたしはニーズがある方に、施術。
「オレ五十肩って言われたことあんだ。還暦過ぎてるけどいいの?」

五十肩?!


この後思い知るのだが、肩から頚まわりの痛みや凝りを訴える方の何と多いことか。
腰痛が圧倒的に多いかと思っていたのだが、予想に反して上半身の症状の方もかなり多かった。

「いつ揺れるのかって、かまえちゃうんだよね」
「いつまた大きな揺れが来るかわからないから、緊張しっぱなし」

これは、震災後にわたしが接した、東京の患者さんも言っていたことだ。
頚部の緊張が強くなり、頭痛や気分不快を訴える方もいる。

この避難所には、Aさんという童話作家のおねーさまがいた。
十八成浜で民宿を営みながら、絵本や自らの乳がん経験を著し、新聞で連載もしていたとのこと。

「書いたものをためたパソコンも流されちゃった」

肩を落とすAさん。


「流されちゃった」


この言葉を、この後何度も聞くことになる。


施術の間に、Aさんはいろいろな話をしてくださった。
津波の前、ここがどんな集落だったのか、普段はどれだけ穏やかで美しい海だったのか…。

避難所を失礼する時、Aさんはじめ何人かの方々が、
わたしたちのクルマを見送ってくださった。
わたしはクルマの窓を開け、Aさんに「新作期待してますよ!」と言った。

Aさんは「いつかこの地震のことを書くよ!読んでね!」とVサイン。
「海の女」の逞しさに触れ、胸が熱くなった。


さて、次なる目的地を開拓するために、クルマは牡鹿半島を走る。

「対策本部って書いてあるな。ここ上がってみようか」

道路わきに、手作りの看板が出ている。
乗用車がひっくり返ったままになっている細い道を、慎重に上がっていく。
しばらく進むと、何人かのひとたちが集まって作業していた。

「こういう、リストにない場所がけっこうあるんだよね」

Y先生がクルマから降り、被災者の方にコンタクトし、チームの活動を紹介。
受け入れOKとあれば活動する。

Y先生によると、規模の大きな避難所の中には、
医療スタッフが常駐していてニーズが充足している場合もあるのだそうだ。
だから「まだ自衛隊しか入れない」ような、小さな、
そして危険な場所にある避難所の開拓は、とても重要なのである。

ここ給分浜(きゅうぶんはま)では、避難所のほか、個人宅に数人が避難していた。
高齢者の方々に、体操指導と施術。

まず、82歳の元・おねーさまに、腰背部、下肢、肩と施術。

「あと、どこか調子の悪いところはありますか?」
「あとはあたまだな」

その場のみんなが笑う。

「じゃ、あたまも揉みますか」

冗談で言ったつもりだったが、おねーさま、かぶっていたニット帽を脱いだ。

「お願いね~」

一同爆笑。

写真はあたまのマッサージ。
なんでかおんなじ顔の、おねーさまとわたくし。

あたまのマッサージ!


おねーさまのあたまのマッサージをしていたら、おじさんが言った。

「俺のフトコロも治してくれよ、センセイ」

「いや~、それは難病ですね」

「そーか、そりゃ難病だよな、ぬははは」


そしてふと気づく。
津波で、築き上げた財産を、大切なものを、すべて流されてしまった無数の方々がいるのだ。
今後、そういった方々のフトコロを治すのは、本当に難しいことになるだろう。

ここでは、元気いっぱいの92歳のアニキにも会った。
触らせてもらうと、がっしりした体格。海の男のからだ。

「92年も生きてきてね、こんなことがあるとはね」

アニキは強い東北なまりで、そう言った。

リアス式の美しい海を眺めながら、穏やかな余生を過ごしていた多くの方々。
今回の、これ以上の青天の霹靂はないだろう。こころが痛い。

活動の後、「おひるを食べていってください」と勧められた。
わたしたちはおにぎりを持参していたし、
被災者の方々の負担になるようなことは、断じて許されない。

固辞すると、「じゃあ、汁物だけでも。食糧は余ってるくらいなので、遠慮なさらず」と。
あまりに頑なでも失礼なので、おずおずとご馳走になる。

パワフルなかあさんが、手早く調理してくださった。
ニラのかき玉汁と「支援物資の漬物」、そしてここらあたりの名物であるクジラの味噌漬焼き。

「味噌漬けでも悪くなっちゃうから、食べていってくださると助かります」

わたしたちの気後れに配慮してくださったのだろう、かあさんはそう言った。
避難所でクジラをご馳走になるとは思わなかった!

さらに「支援物資のパン」も大量にいただいた。
ダンボールいっぱいに、数日前に消費期限の切れたパン。

「ありがたいんだけど、パンはお年寄りはあまり食べないし、どうしても余っちゃうのよね」

恐縮しきりだったが、ありがたく頂戴する。
給分浜のみなさま、ご馳走様でした。ありがとうございました。

②へ続く

※活動風景の画像はY先生にご提供いただきました!
スポンサーサイト

| 仕事・ライフワーク | 22:49 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT















非公開コメント

TRACKBACK URL

http://kumanomado.blog100.fc2.com/tb.php/233-fef97a74

TRACKBACK

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。