くまの窓 ~柔道家・柔道整復師・大学教員のいなじのブログ

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被災地支援活動④



翌朝。
穏やかないい天気。

今日はY先生チームと、N先生チームに分かれての活動。
クルマに支援物資等を積み込み、出発。

東松島市から石巻市に向かう道は、何度か通過したが、常に混雑。
だいぶ緩和されたらしいが、ガソリンスタンドの渋滞だという。

電車が不通となってしまった決して都会ではない東北で、
ガソリンとクルマという機動力がないことの厳しさを思う。


今日は北上川沿いを走り、石巻市旧雄勝(おがつ)町地区へ。

川沿いの道路のかなりの部分が破壊されたため、河川敷に仮敷設された土の道路上を走る。
一方通行なので、ここも渋滞。

川沿いの地域には、いまだかなりの海水が残っており、
自衛隊のポンプ車がフル稼働していた。
また、引かない水の中の遺体を捜索する自衛隊員も、そこかしこで見かけた。

北上川沿いの河口から約4キロの地点には、
被害が大きかったことで知られる大川小学校がある。
川を逆流した大津波で、児童108名のうち56名が亡くなり、18名が行方不明。
さらに、出勤していた教職員11名のうち9名が死亡、1名が行方不明だという。

途中で崩落した橋を見かけた。
この橋が破壊されたことも、大渋滞の原因の一つである。
ここの、津波時の映像はすさまじい。
橋を今にも押し流しそうな津波、わたしたちが通ってきた道も飲み込まれている。
大川小学校の2階建て校舎は、屋根まで完全に飲み込まれたという。

橋に近づくと、橋の上にも橋梁にも無数のガレキが堆積しているのが見えた。

崩落した橋


今日の穏やかな北上川と晴天と、大津波のその日のギャップに、言葉が出ない。


クルマは川沿いを離れ、旧雄勝町地区へ。
市役所の支所が、郵便局が、商店が、壊滅状態である。

そして。
海沿いの石巻市立雄勝病院。
割れたガラスとはみ出たカーテンが、ここがすでに医療機関として
機能していないことを物語る。

地震のその日、大勢の患者とスタッフは、3階建ての病院の屋上に避難した。
しかし、そのうち2名しか助からなかったという。
つまり、津波は3階建ての建物の屋上にまで押し寄せたのだ。

写真右手の山間の民家は屋根が潰れており、
その高さ以上の津波が押し寄せたことを示唆している。

雄勝病院


午前中、雄勝森林公園の避難所を訪問、活動。
ここでもたくさんの方の施術をさせていただき、いろんなお話を聞かせていただいた。
活動の後、車内で、昨日いただいたパンなどのお昼をとり、午後の活動開始。

午後は、旧雄勝町の明神地区の避難所へ。
ここの避難所は集落のすぐわきの高台に位置しており、壊滅した集落が見渡せた。

避難所から望む 壊滅の集落


ちょうどわたしたちが訪れた時間に、震災から3回目、皆さんお待ちかね、
1週間ぶりの「自衛隊のお風呂」とかち合ってしまった。
マイクロバスが迎えに来て、皆さんニコニコしながら出かけていった。

「キレイなからだの方が、センセイも気持ちいいべ」
「行ってきま~す」

この時間に他の避難所…というのも時間が許さないので、
皆さんが帰ってくるのをひたすら待つ。

というわけで、ここの避難所では、たっぷり時間ができた。

明神地区避難所


避難所は、この地区の葬儀場。
建物がキレイなので、ここは大丈夫だったのかなと思いきや、後で教えてもらう。

「天井見てみ」

天井に注目!

天井の梁に、パイプ椅子が引っかかっている。

「ちゃんとした天井もあったんだよ。でも、流されちゃった」

この集会所も津波に飲まれ、屋根や畳が流された。
片付けて、乾かして避難所として使用しているのだという。
どおりで、屋内も潮のにおいがする。


避難所の内部には、ドコモ提供の災害用電話。

あちこちの避難所を回ったが、一度ではなく、
ソフトバンクの職員が避難所近くにアンテナを立てているところと、
ドコモの職員が災害用電話の設置をしているところに遭遇した。

ちなみにauは、何かしら動いてるんだろうけど、職員もアンテナも見かけなかった…。

災害用電話


壁には政府広報が貼られていた。

壁に政府広報


道路がなんとか通れるようになってからは、物資が届くようになったという。
それまでは、被災を免れた家にわずかに残された食糧や物資を分け合ってしのいだそうだ。
「こんなにたくさん、ありがたい」とは、どの避難所でも聞かれた言葉である。

物資の山


調理はかまど。
こういうものが自前で調達できるのは田舎ならでは。
今回の震災では、ラジオやかまどなど、昔ながらのものが見直されている。

自前のかまど


集落を歩く。

石巻市街と違う。基礎だけ残して消えてしまった家屋が多い。
「ガレキすら流されている」状況。

そして、海のにおいとは微妙に違う、乾いた潮のにおい。
この2日で訪れたどの場所も、乾いた潮のにおいがした。

瓦のようなものがまとまって落ちていたので何かと思ったら、硯石だった。
この雄勝は硯(すずり)の産地で、「雄勝硯」は全国90%(!)のシェアを誇るという。
わたしが子どもの頃使っていた硯も、この雄勝産だったのかもしれない。

壊滅の集落を歩く


集落を歩いていて、こんなものも見つけた。

壊れた獅子舞の獅子頭。
ちょっと離れたところに、獅子胴体の、唐草文様の布。

獅子舞の獅子

硯づくりという伝統工芸、獅子舞という伝統芸能。
そういった地域の宝の数々まで、津波は、飲み込んでしまったのだと思う。


そして津波は、ひとりひとりの宝物も飲み込んだ。

古いアルバム


ひとしきり無人の集落を歩き、避難所に戻る。

ふと目に留まる。避難所わきに、こんなものが…。

なにはなくとも…

ガレキの中から、おそらくはとうちゃんたちが集めてきた、泥まみれの酒瓶の数々。
それも大きなカゴにふたつ!

そうだな、からだをあっためるためにも、元気出すためにも、馬力は必要だよな。
とうちゃんたちの逞しさ(と、いじましさ)に、なんだか、嬉しくなった。


ここの避難所にもわんこ。名前は「ジャム」。
後で聞くと、こいつに一人一回ずつ噛まれているらしく、こいつが元気に吠えると
みんな口々に「韓国じゃ犬食うんだぞ!」「おめも食っちまうぞ!」「鍋に入れんぞ!」と。

わんこ②


最初は新参者のわたしを元気よく威嚇していたジャムだが、すぐに陥落。
おとなしくわたしの横に座った。一緒に、今は穏やかな海を眺める。

「とうちゃんかあちゃん帰ってくるまで、おめも揉んでやっか」

わんこにも施術


そうこうしているうちに、避難所の皆さん、ピカピカになってご帰還。

「いや~、風呂上がりに揉んでもらうなんて最高だな~」


あるおかあさんに、自衛隊のお風呂について聞いた。
わたしは自衛隊の簡易入浴設備のようなものを予想していたのだが、
風呂桶は「打ち上げられた魚の養殖用のでっかい水槽」なんだそうだ。

「そこにマグロみたいなのが5匹も6匹も入るのよ~」

かあさんは豪快に笑う。


ここでも、施術をしながら、いろんなひとのいろんなおはなしを聞かせていただいた。


「避難所の横に空き地あるべ?あそこがオレの家だったんだよな」

そうおっしゃるおとうさんがいた。

うまれてこのかた、ずっとこの雄勝で暮らしてきたこと。
ホタテの養殖をして生計を立ててきたこと。
「春の、今時分が養殖する時期なんだよな」ということ。
「貝に穴開けて、ひも通して吊るすんだ。打ち上げられてるの、いっぱい見たべ」。
その養殖場も、すべて流されてしまった…。

淡々と話す背中に、何と言えばよかったのだろう。

「また一から頑張ってください」なんて、とても言えない。


保育所の子どもを抱えて必死に山を登った保育士さん。
帰ったら自宅がなかったという。

仲よしのご近所さんが、柱につかまって「助けてくれ」と叫んでいたのに、
見ていることしかできなかった…と唇をかむおじさん。


「いのちがあっただけよかったですね」なんて、とても言えない。


ここでも十数名の方に施術。
喜んでいただけてよかった。
そして、いろいろなお話を聞かせていただけたことに、ただただ感謝。

活動を終え、片付けをしていると郵便局のクルマが。
徐々に、避難所にも郵便配達が行われるようになってきている。

よく見るとこのワンボックス、車体後面に「板橋005」の文字!

おお、君も板橋から来たのだな。こんなところで出会うとはな。
板橋チームで、できることを頑張ろうな。

彼(ってクルマだけど)に、話しかけたくなった。

From板橋!


そして、本日予定の活動終了。


⑤へ続く。次回最終回です。
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