くまの窓 ~柔道家・柔道整復師・大学教員のいなじのブログ

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被災地支援活動 第2弾①

5月20~22日、二度目の被災地支援活動に参加してきた。
前回の派遣から1ヵ月半、今回もスポーツ医学系NPO法人による派遣である。

今回のメンバーは、医師のY先生を筆頭に、柔道整復師のN先生、
鍼灸あん摩マッサージ指圧師で日体協ATのK先生、そして柔道整復師のわたくしの4名。
前回は女性スタッフはわたしだけだったが、今回はK先生も女性である。
(3日間の道中、K先生とわたくしは、男子ドン引きのすさまじいガールズトークを繰り広げることになる)

高速の路面は、前回と同じく、東北に近づくにつれ段差が増える。
走行中、時々ガタン!と大きくクルマが揺れる。
しかし前回に比べ段差は少なくなり、また工事による通行止めの箇所もあったりして、
動脈が着々と回復してきていることを感じた。

今回も前回に続き、東松島市の病院に滞在させていただいた。
この病院も、前回は駐車場が泥で覆われていたのだが、今回はきれいに取り除かれていた。
ちなみに病院向かいのパチンコ屋も元気よく営業再開していた。

到着した日の夕食は、前回の滞在でY先生の行きつけとなった中華料理店。
飲食店が軒並み営業見合わせとなる中、震災後間もなくから営業を再開したお店である。
被害が少ない地域だったということもあるだろうが、中国人パワーである。
前回は閉店していたお店も、徐々に営業を再開していた。

栄養補給を終え、病院に帰着。
Y先生とN先生のすさまじいイビキのシンフォニーに包まれ、女子たちも就寝。


さて、明くる21日は7時半に活動開始。

東松島市から石巻市へ移動。
渡波地区など、被害がひどい地域を通過する。
重機が入り、徐々にガレキの撤去も進んでいるようだが、風景の印象はほとんど変わらず。
倒壊した建物、ひしゃげてひっくり返ったままの自動車。

前回も見かけた、鯨大和煮の缶詰を模した巨大タンクも倒れたままになっていた。

転倒したままの巨大タンク


あとで調べるとこのタンク、石巻の水産加工業「木の屋」のランドマークなのだそうだ。
もとあった場所から、実に200メートルも流されてきたらしい。
石巻経済新聞HP 震災前の画像


クルマはさらに石巻の港湾地区へ。
港湾地区の一部は、ガレキの集積場になっていた。

木材、金属、アスファルト、クルマ等々に分別されている区域と、
とりあえず集めてきました!という未分別の区域と。
ガレキ処理の問題は報道されている通りなのだが、
あらためてその途方もない量を目の当たりにすると慄然とする。

がれき集積場


貨物駅である石巻港駅の近くを通過。
日本製紙石巻工場が隣接している。当然、工場は閉鎖。
工場の周囲には巨大な原紙のロールが散乱していた。
駆動していない巨大な建物を見ると、時期が時期だけに、チェルノブイリ原発を思い出す。

巨大な廃墟

と、この記事を書いている最中、日本製紙が石巻工場を9月末までに再稼働させ、
印刷用紙生産を再開するとプレスリリース!
今はわが故郷・静岡県で、富士の製紙工場が頑張ってます!頑張れ石巻工場!


クルマは、大潮で地表すれすれまで水位が上がった旧北上川を越え、牡鹿半島へ。
前回はほとんど見かけなかった民間の重機が増えている。
しかし、途方もないガレキの量は変わらず。
また、頻回の大型車両通行により、前回より道路状況が悪化している場所もあった。

風景は変わらず


しかし、復旧を感じさせるところも。
前回は停電で真っ暗だったトンネル内は、電気の復旧で明るく安全になっていた。

トンネル内も電気復旧


こんな風景も。
座礁した船に、鯉のぼり!力強い復興を願う。

鯉のぼり


まず訪れたのは、峰耕寺。
築10年という新しいお寺で、このあたりでは最も被害が少なかったという。

峰耕寺


しかし、大きな石灯籠は倒壊したまま。

石灯籠は倒壊したまま


お寺が建った当初は、周囲の杉はまだ樹高が低く、境内から海まで見渡せたという。
ここの避難所のみなさんは、震災当日、大津波警報を受けて、お寺に避難した。
いくら高台にあるとはいえ、海が、津波が見えない場所に待機するのは、
相当な恐怖だっただろうなと、ふと思う。

そんな皆さんに、仏様の前で施術。
前回に増して、頚部から肩甲帯にかけての愁訴が多い。

施術風景@峰耕寺


峰耕寺を後にしたわたしたちは、蛤浜(はまぐりはま)へ。
ガレキをかき分け、ようやくできた道がありがたい。

がれきの中の道


この地区は、まさに高低差が明暗を分けた風景がくっきり。
「不便なところに住んで…と言われていた人たちが助かったんだよね」

写真手前、ガレキの上にある布は、たくさんの着物である。
持ち主の女性に、いつかまたハレの日が来ることを願う。

高低が明暗を分ける


この集落は、早い段階から沢から水を引いてきて、水の不便は少なかったそうである。
なんと、手作りのお風呂と水洗(!)トイレが!
便器の下は用水路になっており、文字通りの水洗である。素晴らしい知恵。

手作り水洗便所


この集落の避難所に届いた救援物資の中に、わが青春の味、
知多半島名物「えびせんべいの里」のえびせん発見!

わたしが大学時代を過ごした知多半島をはじめ、全国から援助の輪がつながり
東北に集結していることに、あらためて総力戦を思った。

from 知多半島


②へ続く
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COMMENT

大変お疲れさまでした!!
先生のご活動にとても頭が下がると共に、
未だに多くの被災された方々や土地を思うと胸が詰まる思いです

復興の兆しが見え始めたとはいえ、まだまだですもんねぇ

| 笹谷(北海道) | 2011/05/25 09:36 | URL |

>笹谷様

コメントありがとうございます!

現在わたしたちは「こんな時こそ!」をスローガンに活動しています。
次回の被災地訪問は未定ですが、ずっと支援していく予定です。

| いなじ | 2011/05/27 20:07 | URL |















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