くまの窓 ~柔道家・柔道整復師・大学教員のいなじのブログ

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被災地支援活動 第5弾〔4〕最終回

  

ねえさまたちにすっかりご馳走になってしまった後、
さらにクルマを走らせ、給分浜へ。

ここは個人宅を中心に避難をしていた地域である。
初回訪問の時には、津波に飲まれてしまったところとそうでないところの境界が
くっきりとしていた印象がある。
今回は、前回は見られなかった仮設住宅が建設されていた。

初回時に訪問させていただいたご夫婦のお宅を再訪する。
変わらず穏やかなご夫婦が迎えてくれた。
ここでは、アンケートにお答えいただくかたちで、じっくりお話をきかせていただいた。

ねえさまと再会


怒りっぽくなるときがありますか?

そりゃとーちゃんと喧嘩すれば怒るわな


イライラすることがありますか?

そりゃとーちゃんと喧嘩すればイライラするわな


涙が出てしまうことがありますか?

とーちゃんとふたりでのんきにやってるからねぇ…


善き哉、善き哉。


施術中


ねえさまは、しかしこうも言った。


生きがいはありますか?

津波の前は趣味の会に行っていたんだけどね、今はなくなってしまった。
生きがいも何もないべな…


生命を脅かされる状況は去り、生活の基盤が整いつつある。
しかし、人はパンのみにて生くるにあらず。
今後は、有り体に言えば、ADLからQOLということなのだと思う。

石巻災害復興支援協議会のボランティアミーティングには、
「エンターテイメント・リラクゼーション」の分科会があった。
娯楽系は、震災直後の混乱期では、受け入れるほうも余裕がなかったと思う。
しかし長期戦に突入した今、炊き出し系、医療系、瓦礫・泥処理系のボランティアより、
娯楽系のボランティアにこそ、息の長い活動が求められるのかもしれない。


週末に何とかねじ込むかたちで活動しているわたしたちは、
午後になると常に帰宅の時間を考えなければならない。
給分浜での活動を終え、仮設住宅の場所を確認しながら、牡鹿を後にする。
帰路は女川町を経由した。

女川町に向かう途中、壊滅した石巻市立谷川(やがわ)小学校の横を通る。

被災した小学校


ここは鮫浦湾に面した、海沿いの学校であるにもかかわらず、
幸いにも、14名の児童、8名の教職員全員が無事だったという。
子どもたちは今、大原小学校で学校生活を継続しているとのこと。

谷川小学校のブログは、震災の日の午前、卒業式の練習をしている子どもたちの姿を伝え、
以降更新が途切れている。


谷川小学校からしばらく進むと、津波の高さをありありと物語る建物が見えてきた。
4階建ての建物の、1階と2階の窓ガラスが残されていない。
これは「東北発電工業鮫浦寮」で、すぐ近くの女川原発の職員が生活していたのだという。

東北電力寮


寮からしばらく進むと、森の間から、大きな鉄塔がちらりと見えた。
Y先生が、「原発って、うまいこと目に触れないように作るんだよね」と。

今回の震災で、女川原発は、大きな被害を出さなかった。
マスメディアによって、頻繁に福島第一原発との比較がなされていた。
しかし女川原発でも、施設の地下で火災が起こったり、
引き波で冷却水の取水口がむき出しになったりということがあったらしい。
まさに紙一重だったということである。


牡鹿半島の東側は、西側に比べ、瓦礫の処理が進んでおらず、
道路状況も悪く、復興が遅れている印象がある。

廃墟になったガソリンスタンド。
壊れた看板が、押し寄せた津波の高さを物語る。

ガソリンスタンド


途方もない量の土砂。

途方もない土砂


地盤沈下で近くなってしまった海面と地面。
波が道路を濡らしている。

地盤沈下


そして地盤沈下は、津波が運んだ水をとどまらせる。

水が引かない


倒壊家屋の処理が進んでいない。

女川町1


市街地に、横倒しになったビル。緑の部分は屋上である。
女川に押し寄せた津波と液状化の凄まじさを象徴する建物である。

女川町では、ビル6棟が横倒しとなった。これは世界的にも珍しい現象なのだという。
町では、被害資料として、保存の方針を固めているらしい。

横倒しになったビル


避難の中心となった、高台に建てられた町立病院。
ここも、坂の下は、まだ水が引いていないのがわかる。

女川町 高台の病院


女川町は、死者572人、行方不明者381人の人的被害を出した。
2月末の人口が10,016名だったというから、実に人口の1割が失われたことになる。
(10月31日現在、宮城県HPより)

女川町は、いわゆる原発城下町であり、地方交付税交付金を受けていない。
近隣と比べると潤沢な財政の町である。
(したがって、石巻市との合併には消極的なのだそうだ)

しかし、この町を、どうしていくのか?
ここに新たな町をつくるのか、住み続けるのか、原発はどうするのか。
女川の人々が突きつけられた現実の重さを思う。


女川町を抜け、わたしたちは牡鹿半島を後にした。

今回、会えなかったひとたちがいた。
それぞれ、出かけていたり、仕事に行っていたり。

今回は雄勝には寄らなかった。
雄勝の避難所で出会った柔道の大先輩・Yさんは、わたしたちと同日程で、
雄勝のPRのために東京、それもわたしの根城である池袋に出てきていたそうである。

被災地から東京へ。

今までとは反対のひとの流れが新鮮だった。
今まで出会った皆さんは、着実に前に進んでいるのだ。



愛知まで帰らなければならないK先生は、仙台駅から新幹線。
今回も、K先生の冷静な分析や博識ぶりに舌を巻くばかりだった。

残り4名は、今回の活動の感想を語りつつ、またここには書けないような話題で
盛り上がりつつ、賑やかに帰路に就く。

仙台名物の牛タンも忘れずに!
利休のおいしい牛タンをいただきながら、
ふと「自粛」という言葉を、いつの間にか忘れている自分に気づく。

利休の牛タン定食


Y先生、K先生、N先生、そしてボンドK。
今回もありがとうございました。毎回が発見ばかりです。
またご一緒させていただく機会があれば、よろしくお願い致します!

そしてあたたかく迎えてくれた牡鹿の皆さま。
「また来てね」の言葉に、勇気づけられます。
今回も、本当に本当に、ありがとうございました!!
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