くまの窓 ~柔道家・柔道整復師・大学教員のいなじのブログ

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被災地で泥かき〔3〕最終回

〔1〕 〔2〕

山元町での活動を終え、復路は高速道路を使わずに仙台まで戻る。

亘理郡を抜けると、名取市に入った。
名取市も津波に飲まれた、海沿いの街である。

港近くの、閖上(ゆりあげ)地区を訪れた。
以前も牡鹿で感じたが、雑草が伸びてくると、この場所が以前から
このように荒涼とした場所であったかのように感じられる。

閖上地区1


写真の家は、原っぱに佇む一軒家ではない。
このあたり一帯、家屋が密集していたのだ。

閖上地区2


見渡すと、近くに高台は全くない。
唯一、築山のような小さな丘があったが、津波はこの丘も凌駕したという。

しばらく走ると、平屋建ての立派な建造物が見えてきた。
高齢者のための施設だったのだろうな、と思う。

近づくと、特別養護老人ホーム、在宅介護支援センター、デイサービスセンターの
複合施設であることがわかった。

津波を背に受けるかたちとなったのか、玄関付近の損壊は少ない。

施設外観1


海に面した、眺めの良い施設だったんだろうな、と思う。
居室の窓ガラスはことごとく割れ、残されたカーテンが強風にはためいていた。

施設外観2


このホールはリハビリの部屋だったのか、歩行訓練用の階段が見える。
壊れたブラインド、翻るカーテン、斜陽。

施設内部1


すさまじい破壊。

施設内部2


居室。泥もベッドも片付けられていた。

居室1


場所により、居室の破壊の程度が異なる。

居室2


ここに看護師や介護士のステーションがあったのだろう、
入居者のネームボードが、そのまま残されていた。
たくさんの方が入居していたことがわかる。

これだけの数の、動けなかったり足が不自由だったりするお年寄りを、
一斉に避難させるのは不可能に近かっただろう。
まして建物は1階建ての部分が多く、津波を避けようにも上る場所がない…。

ナースステーション跡


施設内部の壁や柱には、津波の水位がくっきり。
2メートル弱くらい。

津波の高さ


機械浴の浴場。
壁材が剥がれ、ガラスが割れ、窓枠も歪んでいる。

特殊浴場


水に滲んだ写真があった。
誕生会か何かの時の写真なのだろう、おばあちゃんが、いい笑顔で写っている。

写真


そうそう、おばあちゃんて、「指先のリハビリ」って言って、
新聞広告の紙で箱を作るんだよな。
こんなにたくさん作ったんだな。

広告の紙で


居室のすぐ外に車いすが。

車いす


廃墟となった施設を巡りながら、わたしは初めて、胸が詰まるのを感じた。
震災から9ヵ月、5度目の被災地訪問で、まぶたが熱くなったのは初めてのことだった。


この時、わたしが重ね合わせていたのは、母と祖母のことだった。


わたしの母は、静岡市内の特別養護老人ホームで働いている。
何度か、母の職場を訪ねたことがある。
たくさん人がいるのに、何とも言えない、静かで穏やかな空気。

そこで暮らしている、穏やかな表情のお年寄りたちを思い出した。
そして、いつもそんなお年寄りたちに、こころを寄り添わせている母のことも。

静かで穏やかな空気が、ここにも流れていたのだろう。
穏やかな余生を送る多くのお年寄りがいて、一緒に泣き笑いする職員がいて。

そんなかけがえのない空間と時間が、一瞬で奪われてしまった。


また、今年の1月、わたしの大好きだったばあちゃんが亡くなった
ばあちゃんは、最期を、北海道の特別養護老人ホームで迎えた。

最後まで自宅に住み続けたいと願っていたばあちゃんだったが、
家族や周囲が一人暮らしを心配するからという理由で、施設入所を受け入れた。

でも、施設に入ってたった4ヵ月で、
ばあちゃんは肺炎をこじらせて天国に行ってしまった。
わたしは、ばあちゃんに会いに行けなかった。
ばあちゃんに、会いたかった。

被災地の、誰もいない施設に、わたしはばあちゃんを見たのかもしれない。

この施設でも、多くのお年寄りや職員が命を落とされたそうである。
亡くなった方につながるどれだけ多くのひとが、胸を痛めたことかと思う。
どれだけ、最後に会えなかったことを悔やんだんだろう、と。



後で知ったのだが、5月の連休、この施設の片付けに、
わが母校・日本福祉大学の学生有志が赴き、汗を流したそうである。
知らずに訪れた場所だったが、縁とか導きとか、そういうものがあったのかもしれない。


閖上に思いのほか長居してしまった後、仙台に戻る。
道中、スーパー銭湯に寄り、汗と泥とを流した。

お風呂では、ボランティアバスのご一行様と思しき皆さんと一緒になった。
日曜日の夕方。
このひとたちも、明日は仕事なんだろうな、と思う。
まずはそれぞれの場所で頑張ることが大事なんだよな。


ほんの短い時間だったが、今回の被災地でも様々なことを感じた。
また行こうと思う。淡々と、できることだけやっていこうと思う。

おそらくは今年最後の被災地訪問記は、以上である。
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| 仕事・ライフワーク | 01:03 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

あなたの行動力に,いつも頭下がる思いです。
お疲れ様でした。

わたし自身も「何か行動起こさなくては・・」の思いが常に空回り,自己嫌悪さえ感じる次第です。

私の元職場の同僚の夫が宮城県岩船市内で津波により殉死(警察官)しました。そんな彼女を手助けしたいと思いながら,9ヶ月過ぎた今も何も出来ないでいたところ,先日,彼女から
「喪中のあいさつ」葉書が届きました。
ようやく気持ちの整理がつき始めたのかな?
少し安心しました。
とりあえずお手紙を書こうかと思っています。

今回の震災はとてつもなく大きな課題を残しました。
政府及び東電の緩慢な動きを日々見ていて腹が立ちますが,
政治を変える行動をさらに強めなくてはと思っています。

くれぐれもご自愛ください。


| 駒澤 洋三 | 2011/12/08 10:27 | URL |

>こまやんパパ

返信遅くなって申し訳ございません!
いつも読んでいただきありがとうございます。

知人の方がご家族を亡くされたんですね。
やはり、対岸の火事、遠くの大津波ではないんだと思います。

被災地は、何度訪問しても胸が痛くなりますが、感傷だけではなく、
何か前進の材料になることをしなければならないと思っています。

しかし首相が何を言っても、東電が何を言っても、
誰もそれを信じない世の中になってしまいましたね。
信じられるのは立場のない者どうしの連帯だったりする。
そこにはマニフェストだの金銭のやりとりだの契約に基づく関係だの、
そんなものはありません。

対案なき批判にならぬよう、ものごとを考えていきたいと思っています!

| いなじ | 2011/12/21 10:10 | URL |















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