くまの窓 ~柔道家・柔道整復師・大学教員のいなじのブログ

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柔道整復師の差別化について ~研修のススメ

この文章は、依頼を受け、ある柔道整復師の情報サイトに寄稿したものです。
(後日雑誌にも載るらしいです)

16日にアップされると聞いていたので、アップされたものを確認しようとしたら、
有料サイトらしく、著者でさえ読めない(爆)ので、ここに転載します。 

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 私は、柔整学校での教員歴8年のハナタレです。このような若輩者が柔整の教育について語るなど目も当てられない烏滸の沙汰ですが、先輩諸氏のご批判を仰ぐいい機会だと思い、執筆させていただくことにしました。
 

 私は教員となった当初より専門学校に奉職してきました。今年度は大学でも教壇に立つ機会を得、専門学校と大学の双方で学生と学ぶ中で、折にふれ両者の違いについて考えてきました。たった一年、一校で何がわかるという批判を甘受しつつ、考えたことを述べてみたいと思います。

 現在、柔整教育界では、大学と専門学校の「二極化」、さらには「差別化」が進んでいるといわれています。(という前提での原稿のご依頼でした。)しかし、たった一年ですが大学の教壇に立ってみて、少なくとも私は、大学と専門学校の学生の質については、どちらが上とも下とも感じることはありませんでした。

 「差別化」とは、つまり高等教育機関である大学で教育を受けた者が「上を行く」ということなのだと思いますが、現段階ではそのような状況にはないように思います。大学だからといって数多の傑出した学生がいるわけではなく、専門学校だからといって学生の学問的資質が低いというわけでもありません。一般教養科目があり、柔整だけでなく教員やATをも目指せる、つまり幅広く学べるという点が、現在の柔整大学の最大の特徴だと思います。

 したがって、4年間学ぶといっても柔整以外の領域について多くの時間を割くことになります。さらに専門学校との比較において、柔整大学の柔整分野の教育レベルが格段に高いかというと、必ずしも全てがそうというわけではないように思います。

 私は「差別化」が始まるのは、柔道整復学が他の学問領域、とくに整形外科学に対する相対的独自性を明確に持ち、さらにそれが成熟してから、つまり柔整独自の確固たる研究が確立してからだと思っています。大学教員の使命は、この柔整独自の研究を何かの片手間にではなく推進することだと思います。教員はその過程を学生と共有する。それが大学の価値であると思います。教える側が専門学校と同じ内容を同じレベルで教えているとすれば、大学と専門学校の「差別化」は絶対に起こりません。これは、大学で教えるにあたり、私自身が気をつけてきたことです。

 現段階での「差別化」は、大学と専門学校の違いではなく、接骨院や整形外科で「研修」したか否か、またどれだけ良質な「研修」を経験したかに起因しています。卒業直後の段階において、研修している者とそうでない者は、技術やコミュニケーション力などで圧倒的な違いがあることはよく観察されることです。また、この現象は試験の成績との相関関係がなかったりもします。

 現段階では、臨床現場でも学問領域でも、柔道整復師の相対的独自性はきわめて不明確です。私は、柔道整復師の相対的独自性は徒手整復、つまり「ほねつぎ」にあると確信し臨床と教壇に立ってきました。ほねつぎの技術は、カン、コツ、さじ加減という、自然科学が最も苦手とする領域のものです。したがって、必ずしも明白な学に裏打ちされていなくとも、技があれば治せる場合があったりします。学はもちろん大切で、追究し続けなければならないことです。しかし、学を深化させる前に、まずは柔道整復師として最低限の技を持っていることが重要であると考えます。

 そこで重要になってくるのが「研修」の役割です。本物の、生きたほねつぎの技を見ること。現場にしかない暗黙知や先達の価値観を感じ取り身体化すること。これは高度な学問と同じくらい、またそれ以上に重要なことだと思います。試験が課されるわけではなく、留年があるわけでもない。にもかかわらず、「現場の教育力」には、すさまじいものがあります。私は、大学育ちでも専門学校育ちでも、良質な研修こそが柔道整復師の教育、養成にとって、最も大切なことではないかと思っています。したがって、現在の「研修」を忌避する傾向には、歯止めをかけなければなりません。「骨の接げるほねつぎ」は、間違っても一朝一夕に成ることはありません。

 大学でも専門学校でも、養成機関で学ぶ傍ら、また資格取得後でも、とにかく充実した研修期間を経ること。その上で、軸足はあくまで骨折・脱臼の治療、つまり「ほねつぎ」に置いて、残りの片方の足をスポーツ障害、慢性疼痛治療、さらには介護分野などに置く。柔道整復師の役割は、その数の増加とともに多様化していますが、軸足はほねつぎから外してはならないと思います。

 大学が設置され、柔整独自の研究環境は整いつつあります。しかし、大学病院とは異なり、接骨院は小さな地域に密着してこその存在です。今後も、大学だけではなく「在野の研究」が重要であることは言を俟ちません。しかし、柔道整復師のもとを訪れる骨折・脱臼の患者が減少している中で、柔道整復師の「ほねつぎ」としての社会的使命は不明確になっていると言わざるを得ません。それが時代だと諦観するのではなく、そんな今こそ、いま一度「研修」の重要性に立ち返るのが重要なのではないでしょうか。行く末も来し方も、柔道整復師は師匠のもとで修行して一人前になっていくのです。



 年度末になると、いつも思い出すことがあります。私がまだ教員になって2年目、年度最後の授業で、ある学生さんが私にこう言いました。

 

 先生、僕は、先生の言う「骨の接げるほねつぎ」になりたいです。接骨院と看板に書いてあって、骨折や脱臼は診ま せんというのでは、ラーメンを食べたくてラーメン屋に入って「ラーメンください」と言ったら、「いやウチはラーメンやってないから」と言われるのと一緒ですよね。僕はそんなラーメン屋はイヤだし、そんな接骨院もイヤです。僕は、ラーメンを出せるラーメン屋でありたいです。しっかり修行して、骨の接げるほねつぎになって見せます────。

 

 彼が今、「骨の接げるほねつぎ」として活躍しているかはわかりません。でも、ほねつぎ魂は忘れないでいてくれると思います。

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| 仕事・ライフワーク | 10:30 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

感動の最後の授業風景・・・目に映るようです。
常に軸足がぶれず確固たる授業を愛情たっぷりに学生達に注いだ結果のシーンだと思います。
”教師冥利”に尽きますね。ご苦労様でした。

今回の寄稿文を読ませてもらいました。
全く分野違いの企業社会で生きてきた私ですからこのような専門分野について偉そうなコメントはできませんが,あなたの”考え方”に同意します。

現在どの分野でも利益優先の考え方が重要視されるあまり,携わる仕事の社会的使命が軽視される傾向にあります。
おのずと底の浅い仕事が世の中に横行しているように思われてなりません。

そういう意味からも,社会に出る前の人間を育てる教育機関はこのことをもう少し考える必要があるのではないでしょうか?

物事を熟慮できる奥の深い若者がどんどん世の中に進出してもらいたいものだと,寄稿文を読んで深く感じました。

頑張ってください!




| こまやんパパ | 2012/03/18 11:37 | URL |















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