くまの窓 ~柔道家・柔道整復師・大学教員のいなじのブログ

柔道家で、柔道整復師で、大学教員のいなじのブログです。

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ファイト!

わたしが知っている数少ない歌に、中島みゆきの「ファイト!」がある。

この歌は、10年以上前、テレビで保険のCMか何かで流れていて、
当時のわたしにしては珍しく、いい歌だなぁと思ってCDを買った。
以来つらいとき、わたしを何度となく支えてくれた歌である。

そして、教員になってから知った。
柔整の学生さんは、この歌を好きな人が多い。


もう7年前の学校の研修旅行にて。
夕飯の後のカラオケ大会で、わたしはこの歌を歌った。
うまくない歌を大声で歌った。

すると、わたしより年上の学生さんで、あまり感情を表に出さない、
無口なスギタさんが泣いたのである。

去年の研修旅行でも歌った。
すると、家庭を支えながら学生をしているタイショウが、
「先生、メチャクチャいい歌ですね。なんていう歌なんですか」と。

この前、卒業式の日。
謝恩会の後三次会に繰り出したわれわれは、朝までカラオケ屋にいた。
また、この歌を歌った。みんなで歌った。泣きながら歌った。

次の日。在学中にお父さんを亡くしたオオノがメールをよこした。
「あの歌のタイトルを教えてください」


柔整学校の学生さんは、仕事をしながら学校に通ってくる。
多くの者は、接骨院や整形外科で見習いをして、その合間に学校に通っている。
見習いだから当然、朝早く夜遅く、そして安月給である。
そんなわけで仕事と勉強の両立は本当に大変で、挫折したりからだを壊す者もいる。

わたしも学生時代、二度、研修先の接骨院を辞めたことがある。
一度目はからだを壊し、二度目は人間関係のつまづきだった。

挫折。

十代では柔道で頑張り認められてきた自分が、
二十代になりつまらない人間関係でつぶされ、社会で通用しないことに、ただ絶望した。
なんでこんな苦しい生活をしているんだろうと思った。
でも、自分が選んだ道で、闘い続けるしかなかった。

多くの柔整学生は、かつてわたしもそうだったように、歯を食いしばって頑張っている。
周りには楽な生活がいくらでも転がっているのに。

そんな試練の中にいるから、みんな、この歌に、ちからをもらうんだろう。



闘う君の唄を 闘わない奴等が笑うだろう ファイト!
冷たい水の中を 震えながらのぼってゆけ ファイト!



この歌は、柔整学生の応援歌。
国家試験合格発表の日に。

| 学校 | 20:51 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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柔道整復師の差別化について ~研修のススメ

この文章は、依頼を受け、ある柔道整復師の情報サイトに寄稿したものです。
(後日雑誌にも載るらしいです)

16日にアップされると聞いていたので、アップされたものを確認しようとしたら、
有料サイトらしく、著者でさえ読めない(爆)ので、ここに転載します。 

-------------------

 私は、柔整学校での教員歴8年のハナタレです。このような若輩者が柔整の教育について語るなど目も当てられない烏滸の沙汰ですが、先輩諸氏のご批判を仰ぐいい機会だと思い、執筆させていただくことにしました。
 

 私は教員となった当初より専門学校に奉職してきました。今年度は大学でも教壇に立つ機会を得、専門学校と大学の双方で学生と学ぶ中で、折にふれ両者の違いについて考えてきました。たった一年、一校で何がわかるという批判を甘受しつつ、考えたことを述べてみたいと思います。

 現在、柔整教育界では、大学と専門学校の「二極化」、さらには「差別化」が進んでいるといわれています。(という前提での原稿のご依頼でした。)しかし、たった一年ですが大学の教壇に立ってみて、少なくとも私は、大学と専門学校の学生の質については、どちらが上とも下とも感じることはありませんでした。

 「差別化」とは、つまり高等教育機関である大学で教育を受けた者が「上を行く」ということなのだと思いますが、現段階ではそのような状況にはないように思います。大学だからといって数多の傑出した学生がいるわけではなく、専門学校だからといって学生の学問的資質が低いというわけでもありません。一般教養科目があり、柔整だけでなく教員やATをも目指せる、つまり幅広く学べるという点が、現在の柔整大学の最大の特徴だと思います。

 したがって、4年間学ぶといっても柔整以外の領域について多くの時間を割くことになります。さらに専門学校との比較において、柔整大学の柔整分野の教育レベルが格段に高いかというと、必ずしも全てがそうというわけではないように思います。

 私は「差別化」が始まるのは、柔道整復学が他の学問領域、とくに整形外科学に対する相対的独自性を明確に持ち、さらにそれが成熟してから、つまり柔整独自の確固たる研究が確立してからだと思っています。大学教員の使命は、この柔整独自の研究を何かの片手間にではなく推進することだと思います。教員はその過程を学生と共有する。それが大学の価値であると思います。教える側が専門学校と同じ内容を同じレベルで教えているとすれば、大学と専門学校の「差別化」は絶対に起こりません。これは、大学で教えるにあたり、私自身が気をつけてきたことです。

 現段階での「差別化」は、大学と専門学校の違いではなく、接骨院や整形外科で「研修」したか否か、またどれだけ良質な「研修」を経験したかに起因しています。卒業直後の段階において、研修している者とそうでない者は、技術やコミュニケーション力などで圧倒的な違いがあることはよく観察されることです。また、この現象は試験の成績との相関関係がなかったりもします。

 現段階では、臨床現場でも学問領域でも、柔道整復師の相対的独自性はきわめて不明確です。私は、柔道整復師の相対的独自性は徒手整復、つまり「ほねつぎ」にあると確信し臨床と教壇に立ってきました。ほねつぎの技術は、カン、コツ、さじ加減という、自然科学が最も苦手とする領域のものです。したがって、必ずしも明白な学に裏打ちされていなくとも、技があれば治せる場合があったりします。学はもちろん大切で、追究し続けなければならないことです。しかし、学を深化させる前に、まずは柔道整復師として最低限の技を持っていることが重要であると考えます。

 そこで重要になってくるのが「研修」の役割です。本物の、生きたほねつぎの技を見ること。現場にしかない暗黙知や先達の価値観を感じ取り身体化すること。これは高度な学問と同じくらい、またそれ以上に重要なことだと思います。試験が課されるわけではなく、留年があるわけでもない。にもかかわらず、「現場の教育力」には、すさまじいものがあります。私は、大学育ちでも専門学校育ちでも、良質な研修こそが柔道整復師の教育、養成にとって、最も大切なことではないかと思っています。したがって、現在の「研修」を忌避する傾向には、歯止めをかけなければなりません。「骨の接げるほねつぎ」は、間違っても一朝一夕に成ることはありません。

 大学でも専門学校でも、養成機関で学ぶ傍ら、また資格取得後でも、とにかく充実した研修期間を経ること。その上で、軸足はあくまで骨折・脱臼の治療、つまり「ほねつぎ」に置いて、残りの片方の足をスポーツ障害、慢性疼痛治療、さらには介護分野などに置く。柔道整復師の役割は、その数の増加とともに多様化していますが、軸足はほねつぎから外してはならないと思います。

 大学が設置され、柔整独自の研究環境は整いつつあります。しかし、大学病院とは異なり、接骨院は小さな地域に密着してこその存在です。今後も、大学だけではなく「在野の研究」が重要であることは言を俟ちません。しかし、柔道整復師のもとを訪れる骨折・脱臼の患者が減少している中で、柔道整復師の「ほねつぎ」としての社会的使命は不明確になっていると言わざるを得ません。それが時代だと諦観するのではなく、そんな今こそ、いま一度「研修」の重要性に立ち返るのが重要なのではないでしょうか。行く末も来し方も、柔道整復師は師匠のもとで修行して一人前になっていくのです。



 年度末になると、いつも思い出すことがあります。私がまだ教員になって2年目、年度最後の授業で、ある学生さんが私にこう言いました。

 

 先生、僕は、先生の言う「骨の接げるほねつぎ」になりたいです。接骨院と看板に書いてあって、骨折や脱臼は診ま せんというのでは、ラーメンを食べたくてラーメン屋に入って「ラーメンください」と言ったら、「いやウチはラーメンやってないから」と言われるのと一緒ですよね。僕はそんなラーメン屋はイヤだし、そんな接骨院もイヤです。僕は、ラーメンを出せるラーメン屋でありたいです。しっかり修行して、骨の接げるほねつぎになって見せます────。

 

 彼が今、「骨の接げるほねつぎ」として活躍しているかはわかりません。でも、ほねつぎ魂は忘れないでいてくれると思います。

| 仕事・ライフワーク | 10:30 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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ラストライブ

わたしが勤務している学校は、今年度いっぱいで56年の歴史に幕を閉じる。

2月24日に正規の授業が終了、25日に国家試験直前講習。
この25日の授業が、わたしの最後の授業となった。
わたしは授業を「ライブ」だと思っているので、25日はラストライブ。

正規の授業は終わっているので、出席は自由。
でも、わたしが担任している最後の学年は、ほとんどの学生が出席していた。

現役生のほかに「学校に遊びに行っていいですか」という卒業生が一人。
久しぶりに授業受けるか?と冗談で聞いたら、いいんですか?と。


授業の前。

その卒業生がおみやげのお菓子を持って、教員室に現れた。
気を遣うなよ~、とお礼を言っていたら、懐かしい顔がさらに二人。
今日は卒業生がよく来る日だなぁ。

授業のために、教室へ。
卒業生がさらに増えている。
なんだなんだどうしたんだ、と、卒業生を交えて、授業スタート。


必修問題の直前講習だからね、もう国家試験パスして
臨床に立ってる先輩方にはつまらないと思いますが…


すると「すみません、遅刻しました~」と、次から次へと卒業生が現れるのである。
現役生は、そのたびに笑う。


どうやら、閉校の前に学校行こうぜ、ついでに稲川の授業も聞いてやろうぜ、
ということになっていたようである。
どこで聞いたんだか、わたしが柔道を教えていた他校の卒業生も来ていた。

そんなわけで、教室は久しぶりにたくさんの「学生」でいっぱいになった。
久しぶりに大人数の前で、いつもより大きな声で授業をする。
わたしは、今の少人数でアットホームな授業も好きなんであるが、
昔は昔で大人数全員を引き込まねば!いう張り合いがあり、その感じも好きだった。

また、各学年往年の「トップ」も数名来ており、
彼らの前で授業するのは緊張したなぁと懐かしくなる。


90分2コマ、無我夢中で終了。

いくら国家試験対策の授業でも、せっかく聴講してくれた卒業生に
ちょっとはためになる話をしようと思って、一生懸命授業をした。

授業を終わった後、深呼吸。
よし、泣かずに乗り切った。
さて、現役生に激励、卒業生にはお礼を言わなければ。


…言葉が出ない。


やはり、ダメだった。
涙があふれて、最後の言葉が、言葉にならない。


なんとか言葉をふりしぼる。


今日この授業が、56年間で最後の柔整の授業。

縁あって母校で教員をやらせてもらって、出会う学生さんはすべて後輩で、
一緒に教員をしていた先生方は先輩で、毎日本当に楽しかった。

母校であり職場であるこの学校の閉校が、本当にかなしくてくやしくて、さびしい。

卒業生がいつでも戻ってこれるように、ずっとこの学校で、教員をしていたかった。



仕方がない、時代の流れだったのだ、と割り切ったと思っていた。
でも、卒業生を、そして最後の学年を前にすると、抑えていた感情があふれ出る。



母校を守れなくて、ごめんなさい。



もっと話したいことがあったけど、もっともっと涙が出そうだったので、
いちばん前に座っていた号令係、クラスいちばんの問題児・ゴダイに声をかける。


よしゴダイ、号令!


ゴダイ、何だか困ったように後ろを振り向く。
すると、クラスのボスであるタイショウが「起立!」と号令をかけた。
卒業生を含め、全員が気をつけのまま、わたしを見ている。


稲川先生!3年間、楽しい授業、ありがとうございました!


教室のそこかしこで弾けるクラッカー。
ありがとう!という言葉と拍手。


おいゴダイ、先生に何か渡したいんだろ!

あ、そーだった!


ゴダイ、ごそごそと着ていたパーカーを脱ぐ。
ゴダイの首には金メダル。


先生!3年間、ご迷惑をおかけしてすんませんでした!
ありがとうございました。先生は金メダルです!


沖縄訛りで、訥々と話すゴダイ。
なんでもかんでもなんくるないさー、の彼に、わたしは担任としてずいぶん悩まされ、
何度叱ったかわからない。

そんな問題児から、金メダルをかけてもらった。
また涙が出た。


ゴダイ、今日ずっと首にかけてたのか

そうっす。あっためてたっす


みんなが笑う。

すると今度は卒業生のヨシコが教壇に歩み寄ってきて、花束を渡してくれた。


先生、卒業生からです!
お疲れ様でした、ありがとうございました!


卒業生からは、寄せ書きの入ったTシャツももらった。ありがとう。


この後も、同級生どうしで結婚したふたりが子どもを連れてきてくれたり、
繰り出した飲み会に参加してくれたり。
さびしかったけれど、みんなが集まってくれて、本当にうれしかった。

また、卒業生と話した現役生が、就職が決まりそうな流れにもなったりしていた。
こういうのが母校の縁。今後もわたしたちには、56年分の縁が残っているんだよな。


この後飲みに行くんでしょ?ずりーなー!


国試を目前に控えた現役生は、飲み会には参加できず。
おまえたちとの飲み会は、国試の後と卒業式の後にとっておくよ。
今日は早く帰って勉強しろ。




今日来てくれた卒業生にありがとう。

3年間腐れ縁の現役生にありがとう。

大東医専で出会ったすべてのひとに、ありがとう。

わたしは、大東医専の教員で、本当に幸せでした。

残りの日々、かみしめます。

後になって振り返った時、すべてが宝物になるとわかっているこれからの時間を、
大事に大事に過ごしていきます。

ラストライブ

| 学校 | 23:38 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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明日は国家試験

明日は第20回柔道整復師国家試験。

前日である今日も、多くの学生が自主登校してきました。
最後まで仲間と一緒に頑張りたいんだなあ。

わが校、最後の学年。
最後の担任は、もはや祈ることしかできません。



ひとこと。






全力で行け。






試験終了後の打上げの幹事は任せとけよ!

明日はようやく、酒解禁だ!うまい酒飲もうぜ!

今日は早く寝ろ!

以上!

| 学校 | 20:10 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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面倒くさがり

面倒くさいことが嫌いである。
わたしは担任であるから、学生がいろんなことを頼みに来る。

で、やつらがわたしに頼みに来ることは、面倒くさいことが多いのである。
最近は国家試験間近ということもあり、演習問題がらみの用件が多い。

試験問題のデータベースから適当な問題を引っ張り出して、印刷して。
難しい作業ではないんだがとにかく面倒くさい。



第19回国試の過去問ください

もう配ったじゃん

なくしました



生理学の問題ください

範囲は?呼吸とか生殖とか

適当に見つくろってください



必修対策の問題ください

どれくらい?範囲は?

先生のセンスに任せます




…。




めんどくさい。




いや授業するだけでなく、教員てのはこれも含めて仕事なんである。
わかってる。わかってるんであるが、




めんどくさい。




しかしだな、わたしがよくないのはそれを出すわけ。露骨に。やつらに。
するとだな、学生ってのは適応するのだね。担任がろくでもないと。



せんせー

なんだね

ご面倒をおかけして申し訳ないのですが16から19回の問題をください



せんせー

なんだねまた面倒かね

先生の性格はよく理解しているのですが下肢骨折の過去問ください




あまりめんどくさいめんどくさい言ってたら、最近は、
先回りしたり慇懃無礼になったり、やつら戦術を変えてきた。




めんどくさい

ハイめんどくさい出たー



どっちでもいいんじゃね?

うわー出たーテキトー




…。




おまいら、こんな担任でごめん。

おまいらと過ごすのはあと1ヵ月。

しかしだな、あと1ヵ月でもめんどくさいもんはめんどくさいんだがな、
まあ言ってくれればできることはやるから言ってくれよ。


3月、桜が咲くように。

めんどくさがりな担任も、頑張るのです。

| 学校 | 23:04 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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